日本代表が踏み出した東京五輪への一歩 男子バスケ界が挑む、長く険しい道のり
馬場雄大は20年の切り札になり得る才能
この大会で公式戦デビューを果たした馬場。20年の切り札になり得る才能を見せた 【写真は共同】
日本は翌7日の3位決定戦で、中国に76−58と快勝した。中国は身長で日本を大きく上回る編成だったが、日本はハードな守備で対抗。中国のターンオーバーは1試合で大量「21」を記録し、太田敦也や竹内兄弟が相手を手詰まりにしてトラベリングに追い込む場面も再三あった。
パビチェビッチHCは最後の指揮を終えて、自身が指揮を執った半年間をこう振り返っていた。「何に取り組むかは難しかったけれど、私がこのチームに植え付けられるのはディフェンスのマインドだと思った。日本は他国に比べて体格や身体能力で劣ることが多いと思うが、それを克服してこのレベルで戦うには、ディフェンス面で完璧に近い状態を作っていくことが大切。選手たちにオフェンスと同じくらい頭を使って、ディフェンスのプレーをすることを植え付けることが私の仕事だった」
7月からはアルゼンチン人のフリオ・ラマス氏が、男子日本代表の新HCになることが決まっている。東アジア選手権は8月のアジアカップ、その後のW杯予選に向けた土台作りの大会だった。パビチェビッチHCも次の指揮官に対する配慮をこう述べる。
「私がするべきことはディフェンス面で最大限の力を発揮できるシステムを作ることだった。オフェンス面は次のコーチがやりにくい状況を作りたくなかったので、ベーシックな部分に取り組んだ。彼(ラマス氏)独自のものを追加できると思う」
人材面でも今後につながる布石が打たれている。筑波大4年生の馬場雄大がこの大会で公式戦デビューを果たし、持ち味を出していた。中国との3位決定戦では彼が豪快な突進からダンクをたたき込み、試合で最も盛り上がる場面を作っている。外角シュートの強化、ボールロストの抑制は彼の課題だが、195センチの体格であれだけ“走って跳べる”人材は貴重。八村や渡邊とともに、20年の切り札になり得る才能だ。
馬場自身も「走るプレーはアジア相手にも通じた。ハーフコートオフェンス(遅攻)を作る先輩方は多いので、自分が求められているのはオールコートの展開だと思っていた。そこを体現できたのは良かった」と大会の手応えを口にしていた。
W杯の出場権を得て、本大会でもベスト16を
W杯の出場権を得て、ベスト16に残るような戦いができれば、日本の東京五輪出場は認められる可能性が高い 【写真は共同】
1次予選はすでにグループ分けも発表されており、日本はチャイニーズ・タイペイ、オーストラリア(世界ランク10位)、フィリピン(世界ランク27位)とともにグループBへ入った。ここから各グループ上位3チームが2次予選に進み、18年9月からは2次予選が行われる。W杯の本番は19年の夏。出場は32チームで、アジア・オセアニア地区からの参加は7枠だ。
日本はリオ五輪予選を兼ねた15年のアジア選手権で4位に入っている。W杯出場に向けた「7枠」を取る可能性は間違いなくある。一方で東アジア選手権の結果を見ても分かるように、アジアの7位以内が「確実」と言えるレベルではない。世界ランクはB組の4チームの中ではチャイニーズ・タイペイと並んで最も低い。まず1次予選で「4分の3」に入って次に進むことから簡単でない。
五輪の出場枠は全世界から「12」という狭き門。日本が開催国枠で出場権を得るためにはFIBAのセントラルボードによる推薦が必要だ。もちろん開催国に対する多少の優遇は期待して良い。日本がW杯の出場権を得て、本大会でもベスト16に残るような恥ずかしくない戦いができれば、日本の東京五輪出場は認められるだろう。
FIBAはW杯、五輪の予選方式を今まさに進化させようとしている。従来は「セントラル開催」と称される、一カ所に出場チームを集めて短期間に予選を終える仕組みを採用していた。しかし今回のW杯からはサッカーと同様のホーム&アウェー方式が採用される。あらかじめ「インターナショナルマッチデー」が設定され、リーグ戦の隙間に大一番を開催することになる。
情熱だけで問題は解決しない
Bリーグの副理事長就任が決まった千葉ジェッツの島田慎二社長は、5月末の会見でこのようなことを語っていた。「お金がなければ代表強化も、選手の環境整備も、海外チームの招へいもない。事業が発展しないと理念の達成もない」
アカツキファイブでも現場の強化に加えて「代表ビジネスの強化」を進める必要がある。今回の東アジア選手権は長野市の真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)で開催されたが、土日に開催されたグループリーグには4000人を超す観客が集まった。最終日も平日ながら2013人の集客があった。またグッズも従来の代表戦とは比較にならない売れ行きだったという。ファンのリアクションも想像以上に熱烈で、長野のお客さんがアカツキファイブを歓迎していることが伝わっていた。
一方で今年の代表戦が札幌、長野と言った地方都市で開催された背景には「大都市圏のアリーナが確保しづらい」という事情がある。17年7月からはバレーやバスケのビッグマッチでおなじみの代々木第一体育館も、改装工事に入って使用できなくなる。代表の公式戦を開催するような規模と仕様、アクセスを持った施設は争奪戦が熾(し)烈で、有力な会場は2〜3年先を見越して抑える必要がある。そこはサッカーや野球の代表チームにない、アカツキファイブの悩みだろう。
またリーグ戦のプロ化に限れば先行したバスケ界だが、代表のプロモーションに関してはバレーボールに全く届いていない。万単位の観客がチケットを買い、ホームの雰囲気を作るということもアカツキファイブが世界に羽ばたく1つの前提になる。Bリーグのクラブはそういうノウハウを持ち始めているが、協会も今後はそのような企画力、運営力が求められる。
世界へ出るために越えなければいけないアジアの壁は高い。コート外にも解決するべき課題が山積みだ。ただバスケ界が暗闇の中で、どう進めばいいのか分からなかった日々はもう終わった。長野の先に続く道は長く険しいだろうが、そこに間違いなく「先」はある。日の出前の薄明に照らされて、アカツキファイブは20年への一歩を踏み出した。