呪縛から解放された森薗・大島組 “根性卓球”で男子複56年ぶりV王手
大金星を逃した2年前の苦い経験
日本勢56年ぶりとなる男子ダブルス優勝に王手をかけた森薗・大島組。2年前の苦い記憶を糧に、躍進を遂げた 【Photo by Maja Hitij/Bongarts/Getty Images】
森薗、大島ともに初出場となった2015年の蘇州大会では、準々決勝で優勝した張継科/許キン(中国)からマッチポイントを握りながらも逆転負け。目前に迫った大金星を逃し、敗戦後には涙に暮れた。
「試合が終わって、いつも何が悪かった、何が良かったと反省して、気持ちが前向きになるんだけど、今回は気持ちの整理がつかない。もう1回チャンスが欲しい。その時には今回の反省を生かして、なんとしてもメダルを持ち帰りたい」(森薗)
それから2年後、第1シードとして臨んだ今大会。苦しむ場面もありながら、悲願のメダル獲得を決めた2人。準々決勝勝利後の「2年間苦しんできたのに、これでメダルを獲れなかったらまた苦しんでしまう。その呪縛から解放されました」(大島)という言葉に、2年間の思いが詰まっていた。
トップランナーではなかった大島
遅咲きの大島(右)はやんちゃな雰囲気を持ちつつも、卓球にはとことん真摯に向き合っている 【Photo by Maja Hitij/Bongarts/Getty Images】
水谷隼(木下グループ)や張本智和(JOCエリートアカデミー)のように、小学生の頃から有望視され、若くして代表に抜てきされるケースが多い日本代表において、大島のキャリアは異色だ。
小学生から卓球を始めた大島だが、中学生までは全国的には無名。京都の名門・東山高校に進み、本格的な練習で力をつけていくが、全国では全日本ジュニアのベスト16が最高成績と、決してトップランナーだったというわけではない。
それでも早稲田大学進学後、日本代表の中でも抜きん出たフィジカルを生かしたプレーが花開いていく。1年生の全日本総合学生選手権でベスト4入り。その後派遣されたポーランドオープンで倉嶋洋介日本代表監督の目に留まり、日本代表候補に選ばれる。大学時代は「夜中の1時とか2時くらいまで、死ぬほど練習した」と本人が振り返るほど卓球に打ち込み、国際大会でも成績を伸ばしていく。「もともと僕は(卓球に関しては)貯金ゼロですから、今は何でもすべて取り込んでいける」とメキメキと頭角を現し、大学4年生にして初の世界選手権代表をつかんだ。
「普段の生活は適当というか、細かいところにはこだわらない」という大島だが、卓球に関してはとにかく真面目。どこかやんちゃそうな雰囲気を持ちながらも、卓球にはとことん真摯(しんし)に向き合う男なのである。