伊達公子、復帰戦で見せた「錆びない力」 思い出の場からの再スタート
「思い出の場に、また戻ってこられました」
公式戦復帰を果たし、観客の声援に手を振りながら引き揚げる伊達公子=3日 【写真は共同】
天下人を志した織田信長の起点たる岐阜城が見下ろす長良川沿いのテニスコートで、かつて世界4位に達するも、1996年秋に26才で惜しまれながら引退した伊達公子は、それから12年の時を経て、新たな挑戦の旅に出ていた。その復帰戦の場となったのが、岐阜開催のカンガルーカップ国際女子オープン。果たして伊達が元世界4位の力を見せつけるのか、あるいは12年のブランクとパワー化する女子テニスの前に挫折を味わうのか……それら好機の視線が入り交じるなか、当時37歳の彼女はシングルスで準優勝、ダブルスでは頂点へと駆け上がり、再び世界へと飛び立つ足掛かりとしたのだった。
その“始まりの地”に、伊達公子が帰って来た――。
1年前の4月22日、酷使し続けた左膝にメスを入れ、骨軟骨移植と半月板縫合の手術を受けた彼女は、「復帰まで最低1年かかる」と医師に伝えられたその時に、とっさに思ったのだという。
「1年後なら、岐阜の大会の頃だな……」と。
以降は、松葉づえでの歩行がつらい時期も、その後の苦しいリハビリのときも、岐阜の大会に出るという一つの明確な目標が、彼女に歯を食いしばる力を与えた。
「9年前に37才で戦った思い出の場に、また戻ってこられました」
2日の大会開幕(予選は30日開始)に先駆けて行われたパーティーの席で、彼女は感慨深げに、そうあいさつした。
奈良くるみが感じた、元世界4位の力
「パンフレットの写真を見て、あれは9年前だったんだ……と知りました」
今や日本女子テニスを牽引(けんいん)する存在となった奈良が、懐かしそうに振り返る。
「あの時は、面識もないまま会場で伊達さんにごあいさつさせていただき、頭が真っ白なままプレーしたことを覚えています」
しかしその緊張状態の中でも、奈良はコート上で隣に立ちながら、伊達を世界の4位たらしめたその理由を鋭く嗅ぎ取っていた。
「試合中の駆け引きの能力がすごい。一言で言ってしまうと、プロフェッショナル。プロ中のプロの方と一緒に試合をできたことは、ジュニアだった当時の私には大きかった」
奈良にとっても9年前の岐阜大会は、一つの出発点だった。