「復興支援マッチ」に臨む松本山雅の思い 熊本の苦闘を知っているからこそ、全力で

多岐太宿

松本にとっても大きな意味のある試合に

16シーズンの開幕戦で対戦した両チーム。地震が起きたのは1カ月半後のことだった 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 当たり前に続くと思っていた「サッカーのある日常」が、何の前触れもなく途切れる――。避けようのない天災によって日常が奪われた時、その当たり前こそ、実はかけがえのない幸せだったことに気付く。

 2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方で最大震度7を観測する地震が発生。以降も地震は断続的に起き、同地を中心に甚大な被害や影響をもたらした。

 松本山雅FCは、16シーズンの開幕戦をロアッソ熊本と戦っている(試合は1−0で熊本が勝利)。熊本地震が発生したのは、それから1カ月半後のことだった。熊本もしばらくチーム活動を休止せざるを得ず、開幕戦で8,253名の拍手と歓声が鳴り響いた「うまかな・よかなスタジアム(当時)」は救援物資の集積拠点として利用されることになった。

 あれから1年が経つ。4月16日に行われるJ2リーグ第8節・熊本vs.松本の試合は、「熊本地震復興支援マッチ」として開催される。ホームの熊本にとって大きな意味を持つ一戦となるが、それはアウェーの松本にとっても同じだろう。地震発生の夜、熊本県出身の選手たちは遠く離れた地で故郷を想って心を痛めていたからだ。

 先の開幕戦では途中出場を果たしている山本大貴(熊本県宇土市出身)は地震発生を知るや、すぐに実家に安否の確認をとった。

「これまでに地震の記憶があまりなかったので、心配で仕方がありませんでした。家族や友人には大きなけがはなかったのですが、亡くなった知人もいますし、言葉には表せないような気持ちになったことを覚えています。すぐに駆け付けたいと思っていたので、次のオフに宇土へ帰りました。倒壊した宇土市役所を見た時は……、心が痛かったです」

サッカーができる幸せを再認識した山本と藤嶋

宇土市出身の山本は家族の支えもあり、サッカーができる幸せをあらためて感じたという 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 昨シーズンはジェフユナイテッド千葉でプレーしていた藤嶋栄介(熊本市出身)もまた、地震発生の直後に実家に連絡を入れた。電話を通して聞こえてくる声色で、地元が大変な事態になっていることを即座に理解したという。

「僕の実家は前震の時点で半壊になり、隣の祖母の家は住めなくなりました。僕自身も、しばらくは実家が心配で眠れなかったです。本震から2週間後に帰省してみると、テレビの報道では映らない被害があることを知りました。地面は液状化していて、橋は通行止め。僕が所属していたクラブチームのグラウンドは地割れを起こしていると聞きました」

 言葉を選びながら、1年前の記憶をたぐり寄せる両選手。その言葉のひとつひとつが心に刺さるのは、被害を受けた当事者だからこそだろう。熊本に所縁のない人にとっては時の経過とともに過去の記憶となりつつあるかもしれないが、熊本の復興への道のりはいまだ半ばだ。

 山本が時折声を詰まらせながら「復興は……これからですね。年末年始に帰省した時にも感じましたけれど、実際に見る限りでは、まだ時間もかかるのかなと思います」と話す言葉から、同地に今なお残る地震の爪跡の深さを思い知らされる。

 そんな状況にあっても、家族はサッカー選手としての自分を支え応援してくれた。

「家族も苦しい立場にいるのに『サッカーを頑張りなさい』と逆に励ましてもらいました。こうやって普通にサッカーができる環境があることは幸せなことなんだと気付きました」(山本)

「実家の状況も心配だったので、近くのチームでプレーした方がいいのかなとも考えましたが、『自分が一番いいと思う場所でサッカーをしなさい』と後押しをしてもらいました」(藤嶋)

 そんな家族の声に奮い立たないはずがない。同時に忘れがちだったサッカーができる幸せをあらためて感じたことで、日々のトレーニングから100パーセントで取り組むことを実践してきた。特別な一戦を目の前にしても、それは変わらない。

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著者プロフィール

1976年生まれ、信州産。物書きを志し、地域リーグで戦っていた松本山雅FCのウォッチを開始。長い雌伏(兼業ライター活動)を経て、2012年3月より筆一本の生活に。サッカー以外の原稿も断ることなく、紙、雑誌、ウェブサイト問わず寄稿する雑食性ライター。信州に根を張って活動中!

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