“飛翔天女”豊田、引退を決めた理由 豊田真奈美×東京03豊本 特別対談[前編]

スポーツナビ

引退を表明した豊田真奈美選手と東京03豊本明長さんが対談 【スポーツナビ】

 女子プロレス界の全盛期を彩った選手の1人、“飛翔天女”豊田真奈美が11月3日に行われる自身30周年記念興行(横浜・大さん橋ホール)での引退を発表した。

 1987年に全日本女子プロレスでデビューし、女子プロの興隆が極めた“団体対抗戦時代”には、全女のトップ選手として活躍。2002年に全女を退団してからは、フリーとして、数々の団体に参戦。現在はOZアカデミーなどを主戦場とし、レジェンド選手の1人として、若手たちの壁にもなっていた。

 今回は引退を決めた豊田選手と、スポーツナビでプロレスコラムの連載を行っているお笑いトリオ東京03豊本明長さんとの対談を前後編に渡ってお送りする。

 前編は、引退を決めた経緯、豊田選手とケガについて語ってもらった。

首の痛みが悪化し幕引きを決断

昨年12月のダイナマイト関西の引退興行を「いい大会だった」と話す豊田。この大会も引退を意識するきっかけになった 【写真:SHUHEI YOKOTA】

――3月17日に引退を発表しましたが、改めて経緯を教えてください。

豊田 30周年記念をやろうというのは以前から決めていて、会場も押さえていました。30周年をやると自分で決めてからいろいろ考えるようになったのですが、もともと右肩がすごく悪くて、何をしていても痛い。24時間ずっと痛くて、そうしたら首にも痛みがきてしまい、発表を1カ月前に控えて(引退が)決定的なものになりました。それでタイミングかなと思って、引退を決めました。
 このまま満足に試合ができない体で、だましだまし闘ってもお客さんに失礼だし、自分自身の動きもできない。今でさえ、自分が昔みたいな動きができないのに、もっとできなくなっちゃったら、私を見てもらう意味がないですし。それに、「落ちぶれたな」って言われるのも悔しいし……。

豊本 全然落ちぶれてないですよ!

豊田 いえいえ、今でさえ言われてますよ。

豊本 「でかくなった」とは聞きますが……。

豊田 太ったなーとかね。でもこれでも少しは痩せたんですよ! そう言われるのが嫌で痩せましたよ。それを言われると、本当に精神的にやられるし。(笑)

豊本 それでも(引退の話を聞いたとき)あんなに頑丈だった豊田さんが「何故?」って。ショックでしたね。

豊田 そうなんですよ。予想外です。でも今までケガをしてこなかった分、一気に今きちゃいました。昔はケガもすぐ治っていたのに、やっぱり年を感じますね。

豊本 その言葉、聞きたくないなー。

豊田 老いは感じますよ。今回の首も「治療に行けばすぐに治るだろうな」と思っていたんです。それが1カ月経ってもまったくで、本当に痛くて救急車を呼ぼうかと思ったぐらいだったんです。今、やっと60%ぐらい治ったかな。ちょっとずつ良くなっているんですけどね。もしかしたら、ただ痛みに慣れただけかもしれないですし。

ケガをしても休めなかった全女時代

――今まで試合を休むほどの大ケガは少なかったですよね?

豊田 肩のケガが一番の大ケガで、6カ月ぐらい試合を休みました。今もボルトが6本入っているんですけど、後は若いときに1カ月弱欠場したことがあったのですが、足の甲の骨を3本やってしまったんですよ。でも、その1週間後にはメキシコに行って試合をしているんです。どうしても大会に穴を空けられなくて、試合をして戻ってきてから病院に行ったのですが、「全治3カ月」と診断され、「参ったなー」と思ったんですけど、1カ月しないうちに痛みがなくなって、病院でレントゲンを撮ったら、くっついていたんですよね!

豊本 それは、すごい。

豊田 ケガをしても、いつもそんな感じだったんですよね。だからケガってすぐ治るものだと思ってたんですけど……。

豊本 治るも何も、その頃の全女では休ませてもらえない状態ですよね?

豊田 全女はケガをしてもやりながらでしたね。今ならじん帯損傷で即手術しますけど、私なんかは、ひざの前十字も後十字もじん帯が切れている状態でグラグラなんです。でもそれでもやりながら治していて、それこそダイナマイト関西さんと両国国技館で試合をした時(95年12月4日)、WWWAのベルトを取り返す試合の1カ月前にケガをして、ひざが痛いままタイトル戦を闘ったんですよ。

豊本 そこは絶対、休めなかったですね。

豊田 あと、これは欠場していないんですけど、腕を脱臼したこともあったのですが、場外にプランチャで飛んだときに自爆し、起き上がったときに腕が普通とは逆向きになっていたんです。そのときは自分で体重をかけてグリグリグリって戻して……。その後、病院に行ったらきれいに入っていたんですけどね。(笑)

豊本 それは良かったですね。

豊田 その時は全女の大量離脱(97年)後で選手が少なくて、堀田(祐美子)さんや私がトップ。とりあえず全女としては、ギブスをして肩口から腕先まで真っ青な状態でも、「立っているだけでもいいから出てくれ」と。まあケガにも慣れていたし、痛みにも慣れていたので。だけど今回ばかりは本当に痛いです。肩の手術も痛かったですけど、今回が一番痛いです。

豊本 治るんですか?

豊田 先生には治ると言われています。医者によっては、ストップをかける先生もいるかも知れないですけど、私は主治医の方にすべてを話し、とにかく11月まで持たせてくださいと。それで先生も、「そういう目標があるなら、絶対にやり遂げられるはずだから」と言ってくれていて、その先生に任せている感じですね。

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