4階級制覇を逃し岐路に立つ最強女王 喪失感の中で藤岡奈穂子が達した“原点”

船橋真二郎

「こんなのがボクシングなのか?」という試合で黒星

4階級制覇を目指しメキシコに渡ったが、そこでの黒星に喪失感を覚えたと話す藤岡 【スポーツナビ】

 アマでの実績を考慮され、特例の34歳でデビューしたときから時間との闘いは宿命だったが、まだまだできると存分に示した。何より目標に掲げてきた5階級制覇に向け、藤岡自身が未来を信じられた。そういう試合でもあった。

 それだけに現在の藤岡が置かれた状況は信じがたい。

 10月1日(日本時間2日)、メキシコで4階級目を狙って、WBC女子世界フライ級王者のジェシカ・チャベス(メキシコ)に挑むも判定負け。試合後、まず藤岡が抱いたのは負けた悔しさよりも、やるせなさだった。

「こんなのがボクシングだったら、もうやりたくない。これが世界のトップの戦いなら、興味はない、というのが直後の気持ちでした」

 試合は、序盤から藤岡の強打を警戒したチャベスが露骨なホールディングを繰り返し、ストレスの溜まる展開となる。本来、チャベスはアウトボクシングからカウンターを狙うタイプ。自分から距離を詰める形を想定していた藤岡は「入ったらつかまれる、入ったらつかまれる」で、まったくファイトさせてもらえない。その上、4回終了時の公開採点は2−0でチャベス優勢と出る。「倒さなければ」と焦るほど、泥沼にはまっていった。

 6回には「スリップとバッティング」(藤岡)で倒れ込んだのをダウンと裁定され、ますます追い込まれた。「試合の途中で正直うんざりしたこともあった」という、がんじがらめの展開が延々と続く中、メキシコ人レフェリーが地元の王者にホールディングによる減点1を与えたのは、ようやく最終10回のことだった。

「ずる賢いボクシングで来るという想定が抜けていたのかもしれない」

 覚えがなかったわけではない。2年前、ドイツでWBA女子世界フライ級王者のスージー・ケンティキアンに挑戦したときも、狡猾(こうかつ)な試合運びにごまかされ、プロ初黒星を喫している。だが、4カ月前の真道戦で「これぞ、ボクシング」という高揚感を味わっていたこともあり、敵地で相手を倒す気持ちが先に立った。

 また、強豪との対戦経験も豊富で2階級王者でもあるチャベスに対し、現地の前評判は藤岡の優位。それが実績を重ねてきた藤岡の世界における立ち位置でもあった。フジオカに勝つには、まともにボクシングをすることはない。数々の王者を手掛けてきた名伯楽、イグナシオ・ナチョ・ベリスタイントレーナーをはじめ、チャベス陣営が自分をどう見ているか。その視点も足りなかった。

長く気の抜けない状態で「集中力切れていたかも」

ドイツでの試合に敗れた後、メキシコに渡り強豪選手に勝利した経験もあるが、今回も同じ道をたどれるか 【写真は共同】

 チャベスとの一戦は、ダイヤモンドベルト(WBCが階級最強と認定したボクサーに与えるとしたベルト)を懸けた女子フライ級トーナメントのファーストラウンドとして行われた。

 このトーナメントの具体的な形が『WBC女子フライ級ワールドカップ』として示されたのは6月。当初は8月頃に初戦との話があり、真道戦から休む間もなく練習を再開した。だが、その後の動向がなかなか入ってこない。「ギアをトップに入れられず、ずっとサードくらいの状態」をキープするしかなく、難しい調整を強いられた。

 結局、日程が10月上旬と伝えられたのは1カ月前。それが10月1日となり、「最後まで練習のヤマをうまくつくれなかった」。気持ちの面もそうだった。気を抜けない期間が長期にわたり、「最後は集中力が切れていたかもしれない」という。

「海外で戦うということは、こういうこと」と覚悟はしていたつもりだった。藤岡にはドイツで敗れたあと、メキシコで強豪選手のマリアナ・フアレスと拳を交え、判定勝ちをものにした経験もある。試合を含め、対応力には自信があったはずが、勝利すれば、藤岡にとっても日本女子ボクシングにとっても、新たな道が拓けるかもしれない「滅多にないチャンス」を生かせなかったショックは大きかった。

 3階級制覇の自負。あらためて真道戦で手にした自信。「メキシコの負けで全部崩れたし、自分の中では何もなかったのと同じ」と藤岡の落胆は想像以上に深い。ジムには「今度は日本で試合をしよう」とサポートを約束されていた。あの試合で終わりにするには「不完全燃焼」の思いも拭えなかった。だが、どうしても気持ちが上がらないまま1カ月近くが過ぎた。

藤岡のボクシング人生が歴史になっていく

メキシコで敗れたことで気づいた自分の原点。藤岡はまだまだ歩みを止めないだろう 【スポーツナビ】

「ここまで来て中途半端に辞められない」と藤岡がジムワークを再開したのは11月に入ってからである。少しずつ人と会い、激励の言葉をかけられた。ボクサー仲間に会い、ボクシングについて語り合った。日本サッカー協会(JFA)が取り組む社会貢献活動『JFAこころのプロジェクト』の夢先生として小学校の教壇に立ち、子どもたちに夢の大切さを語りかけた。

“いちボクサー”となり、人と触れ合う中で吹っ切れたわけではない。ただ、そんな日々を過ごしながら、悩み抜いた末にたどり着いた答えがある。

「最初は自分のためだったのが、女子ボクシングのためとか、自分が勝って、辞めていった人たちの分も、という気持ちも持ってやってきた。でも、結局は誰のせいにもできないし、自分のため、というところに戻ってきた」

 藤岡がプロに転向したのは、アマの当時の年齢制限が迫り、やれるところまでボクシングを続けたいという一心だけだった。それがトップに立ったことで、競技全体に目を向けるようになる。その意識が原動力にもなっていった。

 3年前、ミニマム級から一気に3階級上げ、強打のWBA女子世界スーパーフライ級王者、山口直子に挑戦。2階級制覇を果たしたのも女子に注目を集めるためだった。翌年には若手のホープ、川西友子を退け、初防衛にも成功。この2戦は、ともに女子年間最高試合に選ばれる熱戦となる。が、取り巻く現状に期待どおりの変化は見られなかった。

 山口も川西も藤岡との試合を最後に引退。引き換えに貴重な人材を失う矛盾に、胸を痛めたこともある。そのスーパーフライ級でフアレスに勝利したメキシコのリングから、2人の名前を絶叫し、思いを表現したこともあった。その後、1階級上のバンタム級にも進出した藤岡の現在の体重はスーパーフライ級の上限52.1キロに届かない。その事実だけでも、どれほど体を張ってきたかが、うかがい知れる。

 5階級制覇の記録もまた話題を呼ぶための目標だったが、まだ諦めたわけではない。「時間は待ってくれない」と自覚し、複数階級制覇の難しさも分かっているからこそ、「もっと自分本位になって、集中しないといけない」。その思いも込めた原点回帰――。今はまだゆっくりと最終章に向けて一歩を踏み出したところだ。

 個人的な見解では、まだ歴史の浅い女子ボクシングにあって、自ら競技を背負うことで昇華した藤岡のような存在は今後、出てこないのではないかと思う。だから、記録うんぬんは関係ない。藤岡が競技人生を全うし、そのストーリーを完結させることが女子ボクシングの歴史となるはずである。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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