岡崎慎司、30歳にして能力は発展途上 パーソナルトレーナーが語る現在の状態

粂田孝明

岡崎の第一印象は「とにかくひどかった」

岡崎慎司のパーソナルトレーナーを務める杉本龍勇。日本代表ストライカーの現在の状態、これまで行ってきたトレーニングについて語った 【(C)GAKKEN】

 日本代表は11月15日、ワールドカップ(W杯)・ロシア大会、アジア最終予選の前半最終戦となる、サウジアラビアとの戦いに臨む。ここまでグループBで2勝1分け1敗、勝ち点7の3位と苦戦を強いられている日本。その原因のひとつが攻撃陣の不調だ。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督率いる日本は基本的に1トップを敷いているが、最終予選の4試合で純粋なFWが得点したのは、浅野拓磨が挙げたタイ戦の1ゴールのみ。長年エースとして活躍してきた岡崎慎司は最終予選では得点していない。

 今年5月、プレミアリーグでレスター・シティの歴史的優勝に貢献し、一躍脚光を浴びた岡崎。2年目の今シーズンは、さらなる飛躍が期待されたが、アーメド・ムサ、イスラム・スリマニら新加入選手に押されて、満足がいく形では出場できていない。ベンチを温める存在になると、周りから昨シーズンほどのキレがなくなったのではないか、コンディションに問題があるのかとうわさされるものだ。しかし岡崎のパーソナルトレーナーを務める杉本龍勇はこう断言する。

「悪くはないですね。体が動いていた昨年の年明け以降と同じようなレベルで動けているので、コンディションは問題ないと思います」

 日本代表では、9月と10月の最終予選4試合のうち2試合を欠場しているが(11月11日のオマーンとの親善試合は途中出場)、これは岡崎が精彩を欠いていたわけではなく、単純にけがなどの影響だった。負傷についてはすぐに完治し、今は高いコンディションを維持している。そんな岡崎の最近の動きを見て、杉本は感心している。

「最近、ちょっとかっこいいなと思っています。泥臭いだけのイメージだったんですが、動きが洗練されてきました。彼に対してリスペクトする気持ちも出てきました。その意味では最初に見たときとは別人ですね」

 岡崎と杉本の“最初”の出会いは、2005年にさかのぼる。岡崎に対する第一印象は、「とにかくひどかった」というものだった。

8番手FWからのスタート

 岡崎は名門、滝川第二高校のエースストライカーとして活躍したスタープレーヤーだ。1年時からレギュラーの座を獲得して全国大会に出場し、3年時にはキャプテンも務めた。高校サッカー界注目のFWとして将来を嘱望され、清水エスパルスの門をたたいた。岡崎の加入と機を同じくして清水のフィジカルコーチとして招へいされたのが、杉本だ。

 バルセロナ五輪で陸上男子100メートルに出場した日本を代表するスプリンターだった杉本は、4×100メートルリレーではアンカーを務め、戦後初の6位入賞を果たした。どんなトレーニングをすれば体をスピーディーに動かせるのか、動く筋肉とはどんなものなのかを、とことんまで追求してきた人物だ。その杉本から見て、当時の岡崎はとてもゴールを決める選手には見えなかったという。

「本人は一生懸命体を動かしているつもりでしたが、動きはバラバラでしたね。この選手がプロでどうやって点を取っていくんだろうと思いました。正しく指導をしていかないと、2〜3年で下のカテゴリーに流れ着く選手の1人だと思いました。とにかくひどかったですね」

 動きがバラバラな岡崎が、高卒ルーキーでいきなり試合に出場できるはずもなく、当時8人いたFWの中で、8番手という位置づけだった。しかし杉本は同時にこんな感想も持った。

「ただゴールを取れる位置にはいました。この選手の長所はそういうところだと思っていました」

 当時の岡崎にとってこのゴールの嗅覚こそが、唯一の強みだった。しかし杉本はそれも長くは続かないと思っていた。対戦相手のレベルが上がれば上がるほど、その位置まで到達できなくなるからだ。そのため杉本は岡崎に陸上のエッセンスを加えたトレーニングを課し、そのバラバラな動きを直すことにした。

地味なトレーニングをコツコツ積んでエースに成長

加入当初は動きがバラバラだったという岡崎(左)。トレーニング3年目にチームのエースに成長した 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 最初に取り組んだトレーニングは、プロならではの特別なものではなく、小学生でもできるごくシンプルなメニューだった。運動するときの正しい姿勢の作り方や、ツマ先立ち、ツマ先歩き、カカト歩き、ブラジル体操(関節をほぐすストレッチ)、スキップ、モモ上げなど、“地味”なトレーニングだ。

「彼は体を動かすセンスがなかったので、体を大きく動かせるようにすること、しなやかに動かせるようにすること、リズム感を養うこと、これらを意識したトレーニングを行いました。複雑な練習はやってもできませんでしたから」

 さらにリハビリ用の小さめのトランポリンを使って、前後左右に跳んで自分の体重移動を意識させるトレーニングも延々と繰り返した。そんな練習がなんと2年間続いたという。その間、自主トレではまったくボールを使っていなかった。しかも岡崎はこの地味なトレーニングを本当にコツコツとこなした。

「彼のいいところは地道にやることです。そこが大きな強みですね。実は、最近トレーナーのオファーをいただくのは海外で活躍している日本人選手が多いんです。こういう地味なトレーニングの大切さを痛感しているんですね。その中でも特に岡崎は執着して継続する能力がいちばん高いと思います。ささいな違いが大きな違いを生むことに気付いているんです」

 その“大きな違い”が表れ始めたのが、3年目の07年シーズンからだった。主力として活躍し5得点を記録。08年には二けた得点を決め、チームのエースストライカーとなった。さらに同じ年に北京五輪のメンバーに選ばれると、9月にはA代表にも選出され、10月には初キャップも経験した。

 岡崎の動きはこの頃から確かに変わってきていた。走る姿勢が改善され、リズミカルに走れるようになったのだ。動き出しやターンもスムーズになり、「相手よりも1歩前に出られるようになった」と岡崎自身もトレーニングの成果を実感していた。杉本はあらかじめこの3年をひとつの目安としていた。

「体が動くようになるまで3年くらいかかりましたが、もともと高卒から3年間はチャレンジできる期間だという話は本人としていました。この猶予期間の中で、コツコツと努力して、3年目くらいから試合に絡めるようになれば、30歳すぎまで活躍できる選手になるはずだと話していたんです」

 トレーニングも3年目に突入し、岡崎の動きの質がよくなり始めたのを見て、杉本はようやく次のステップに入ることを決断する。そのことを岡崎に宣言すると、本人は「やっときたかー」と大喜びしたという。そこからは、マーカーを使ったステップワークや、動きを加えた体幹トレーニングに入っていった。ここでも岡崎はコツコツと地道に取り組んだことで、清水の絶対的なエースへと成長し、日本代表にも定着することになる。

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著者プロフィール

1972年11月25日、静岡県生まれ。1997年よりラジオディレクターとしてサッカーの取材を始める。その後、映像ディレクター、雑誌の編集、ライターを行う。現在は学研『ストライカーDX』編集部に所属

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