快挙達成の16歳・平野美宇、躍進の理由 「悔しさと投げやり」からの心の変化

高樹ミナ
 リオデジャネイロ五輪では控え選手として日本代表チームをサポートした平野美宇(JOCエリートアカデミー)が9日、米フィラデルフィアで行われた卓球女子ワールドカップ(以下、W杯)で優勝した。1996年の大会開始以来、史上最年少および日本人初(中国選手以外の優勝が初)の快挙である。リオ五輪では同い年のライバル・伊藤美誠(スターツ)が団体戦銅メダルを獲得するのを目の当たりにし、悔しい思いをした平野。その悔しさをバネに飛躍した弱冠16歳の少女は4年後の東京五輪を見据えて中国武者修行へと飛び立った。

攻めの姿勢でつかんだW杯優勝

史上最年少、日本人初のW杯王者となった平野美宇。中国へ渡る前日、忙しい合間を縫ってインタビューに応じてくれた 【スポーツナビ】

――W杯で大きな結果を出した感想はいかがですか?

 リオ五輪の直後に優勝することができて、すごくうれしかったです。

――金メダル宣言をしての優勝でしたね。

 渡米前に受けた取材の中で、今回、中国人選手がけがをして欠場するので、「絶対に優勝して金メダルを持ち帰りたい」と言いました。どの国の選手も優勝を狙っていた中で勝てたのは大きかったと思います。

――特にリオ五輪の銅メダリストであるフォン・ティエンウェイ選手(シンガポール)に競り勝った準決勝は見応えがありました。どういう戦略で臨んだのでしょう?

 まずこちらが想定した以上にフォアハンドの打球が伸びてきて、「あれ?」という感じで1ゲームを落としました。だから2ゲーム目はフォアハンド対策をしつつ、バックハンドを意識して、バックの打ち合いでは絶対に打ち負けないようにしました。具体的には最初、私のバックの打点が早かったので、体に引きつけてから打つようにしました。それがうまくいって2ゲーム目を取ったのですが、そこからゲームカウント1−2でリードされてしまって。4ゲーム目を5−10でリードされた場面で「このままじゃ、勝てない」と思って戦術を変えました。

――どう変えたのですか?

 自分の打った球がネットインして6−10になった後、サーブをフォア前(相手のフォア側のネット近く)に出して、浮いてきたレシーブを打ち込むチャンスがあったんですね。その時、一瞬、もし打ち込んでミスをしたら相手に流れが行ってしまうなと思う反面、ここで攻めなければ負けるとも思いました。それならば攻めて負けたほうがいいと覚悟して、3球目攻撃を決めたんです。あそこで6連続ポイントできたことで試合の流れをぐっと引き寄せることができました。

――もともとラリー型のプレースタイルということもあり、少し前なら守りに入っていたのでは?

 以前はそうだったと思います。でも、今シーズンは自分で考えてプレーできるようになって、攻める姿勢が身につきました。(昨年10月から指導を受けるJOCエリートアカデミーの)中澤鋭(るい)コーチに、「もっと思い切ってプレーしていいんだ」と教わったことが大きいと思います。

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著者プロフィール

スポーツライター。千葉県出身。 アナウンサーからライターに転身。競馬、F1、プロ野球を経て、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、10年バンクーバー冬季、16年リオ大会を取材。「16年東京五輪・パラリンピック招致委員会」在籍の経験も生かし、五輪・パラリンピックの意義と魅力を伝える。五輪競技は主に卓球、パラ競技は車いすテニス、陸上(主に義足種目)、トライアスロン等をカバー。執筆活動のほかTV、ラジオ、講演、シンポジウム等にも出演する。最新刊『転んでも、大丈夫』(臼井二美男著/ポプラ社)監修他。

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