連載:東京五輪世代、過去と今と可能性

シュートを愛する小川航基「野望はある」 東京五輪世代、過去と今と可能性(1)

川端暁彦

シュート練習は至福の時

「シュート練習しかしてこなかった」と小川は高校時代を振り返る 【Getty Images】

――しかし、高校に入ってからは完全にFWとして鍛えられました。

「お前はストライカーなんだ」「点を取れ」と。僕は高校のとき、シュート練習しかしてこなかったくらいですから。それが今の形になっていると思います。1年で高校サッカー選手権を経験させてもらえたし、本当に桐光には感謝しかないです。

――シュート練習、いつも楽しそうですよね。

 いや、本当にもう至福の時です(笑)。こだわりすぎて、桐光ではコーチと言い合ってしまったりもしましたね。でも、ホントに楽しいです。いまはいつも(磐田監督の)名波(浩)さんが付き合ってくれて。普通、そんなことしてもらえない。「ミート率は高いのだから、力む必要はない。リラックスして打て」と言われています。

――両足で蹴れるのも特長です。

 左右同じような形で打てるというのは、自分でも強みだと思っています。父親に「左足でも打てるようになれ!」とずっと言われてきたんですよ。やっぱり小さいころから意識してきたおかげですね。いまさら練習してもうまくならない部分はあると思うので、そこは(父に)感謝しないと。

――逆に課題は?

 腐るほどあります(笑)。そもそも自分はまだ中途半端な選手。背の高さもそれほど突出していないですし(183センチ)、前線でばか強いというわけじゃない。めちゃ強い、めちゃうまい、めちゃ速い。そういう飛び抜けた部分がもっとないと、ストライカーは使ってもらえない。だから自分の場合、「シュート」が押し出すべき武器なのかな、と。いま名波さんに言われて、すごく考えさせられているのは「シュートは打たなきゃ意味がない」ということ。試合でシュートを打てなかったときなんて、もう本当に怒られますし。

――それは名波さんも小川選手のシュートを認めているからですよね。

シュートのところは評価していただけていますね。だから自分がシュートを打てるような形でいかにパスをもらうか。今はそこですね。シュートへどう持ち込むかを考えて、取り組んでいます。

チャンスがあるのに、勝負しないのはもったいない

4年後の東京五輪に向けて「まず磐田の顔になれるような選手になっていることは大前提」と小川 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

――今後の夢を教えてください。

 U−19でアジアを抜けて(U−20)W杯へ行けば、世界の誰かが見ているかもしれない。野望というか夢がありますよ、サッカー選手には。チャンスがある職業なのに、勝負しないのはもったいないでしょう。だから勝負していきたい。自分は注目されたがりというか(笑)、プレッシャーとか気にするタイプじゃないですからね。

――4年後の東京五輪、どんな選手になっていますか?

 まず磐田の顔になれるような選手になっていることは大前提。今年は難しかったですけれど、来年こそは。A代表も五輪に行く前から選ばれていたい。注目された状態で行きたい。道筋はいつも描いていますけれど、今の本田圭佑さんのような、日本代表を背負うような立場の選手になって海外でプレーしたい。野望は、ありますよ。ビッグクラブに行って、A代表の顔になるような選手になる。自分で階段を作って、そこを登っていくようなイメージを今は持っています。

 パスが好きな選手は多いが、シュートを愛する選手は少ない。フィニッシュという最後の責任を負うことを嫌がるムードすらなきにしもあらず。ストライカー不足が叫ばれて久しい日本サッカー界において、小川が特異な才能であることは間違いない。幼少期になかなか評価されなかった理由も、そうした日本サッカーの流れと無縁ではないだろう。流れの中で消えてしまっても、チャンスがくれば決めてくれる。日本では、確かに何とも珍しいタイプだ。

 10年ぶりの出場を目指すU−20W杯。その野望のための第一歩を踏み外すつもりは毛頭ない。根っからのストライカー気質を持った“東京五輪世代”のエースは、インタビューの最後に「出ますよ、出ます。絶対に世界大会へ出ます」と、力強く宣言してくれた。

小川航基(おがわ こうき)

【写真:川端暁彦】

 1997年8月8日生まれ、神奈川県出身。183センチ、70キロ。大豆戸FC Jr.ユースを経て桐光学園高に進み、1年生の時に高校サッカー選手権2試合に出場する。3年生の時にはキャプテンとして臨み、チームのベスト16に貢献。自身は4ゴールを挙げ、得点ランク2位タイを記録した。

 卒業後はジュビロ磐田に加入。15年1月にU−18日本代表に選出されると定着し、16年7月にはリオ五輪のトレーニングパートナーに選出され、ブラジル代表とのテストマッチにも出場した。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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