引退の星奈津美、悔しさを力にした20年 受け継がれていく女子バタフライの歴史
2008年日本選手権、北京五輪出場を決めた当時17歳の星(左)と先輩の中西悠子 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
「リオデジャネイロ五輪のレースを終えて、後悔は全くありませんでした。五輪が終わってから、自分のレースを見返すことは何度もあったんですが、銅メダルですから、今までだと悔しいなとか、そういう気持ちがふつふつと湧いてきていたと思うんですが、今回はそういう気持ちも全くありません。精いっぱい出し切れて、自分自身、満足していたからだと思います」
時折目を伏せて、リオデジャネイロ五輪の舞台を思い返すような仕草を交えながら、ゆっくりと話す星の目には、迷いも後悔もない。本当にスッキリとした、星らしい柔らかな笑顔を見せていた。
全国大会「2年連続4位」からのスタート
度々、星は結果を残す直前に『悔しさ』を味わっている。最初の悔しさとなった全国中学の翌年、高校1年生になった星は、インターハイの200メートルバタフライで優勝。
初めての五輪となった2008年の北京五輪前には、悔しさとは異なるものの、バセドー病の発覚という人生を揺るがすほどの挫折を味わっている。泳ぎたい、試合に出たいという気持ちが星を突き動かし、バセドー病発覚の約半年後に行われた、高校2年生でのインターハイで再び優勝を飾った。
勢いそのままに出場を果たした北京五輪本番では、準決勝で敗退。当時、200メートルバタフライの第一人者だった中西悠子が決勝の舞台で泳ぐ姿を見て、『私もあそこで泳ぎたかった』と悔しさが星の心に飛来した。
決意新たにロンドン五輪に向かう星だったが、その前年の上海世界水泳選手権では、3位と100分の1秒差の4位に終わり、悔し涙を流す。その悔しさが、ロンドン五輪での200メートルバタフライでの銅メダル獲得につながった。
世界選手権で優勝 味わったことがない戸惑い
世界選手権優勝、五輪2大会連続のメダル獲得。『悔しさ』をモチベーションに輝かしい結果を残した 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
“引退”の二文字が頭をよぎる。それほどの事態だった。それでも星は、勝負の世界に帰ってくる。同年11月に甲状腺の全摘出手術を行い、5カ月後の2015年4月の日本選手権で、100メートル、200メートルバタフライの2種目で優勝。見事、カザン世界水泳選手権の代表権を獲得する。
そしてカザン世界水泳選手権本番で、上海、バルセロナの2大会連続で4位とメダルを逃していた星は、ついに200メートルバタフライで世界の頂点に立ち、『悔しさ』を晴らした。
その世界の頂点に立ったことが、今度はさらに星を苦しめた。『悔しさ』をモチベーションにしてきた星が、悔しさを持てなくなったのである。今まで味わったことがない気持ちの『挫折』に、星は戸惑った。