「ヴォルカ」から見た昇格と統合の物語 J2・J3漫遊記 鹿児島ユナイテッドFC後編

宇都宮徹壱

鹿児島の2クラブがそろって地域決勝へ

最後のダービーとなった13年の地域決勝。先制点を挙げた山田は、今も鹿児島でプレー 【宇都宮徹壱】

 ヴォルカが九州リーグで足踏みを続けることになった原因は、プロ化を意識したクラブ運営ができる人材や組織に恵まれなかったことに尽きる。NPO法人や評議会が作られては、「鹿児島にJクラブを」とか「子供たちに夢を」といったスローガンを掲げるものの、実体も実行も伴わない。「上がる上がる詐欺」と揶揄(やゆ)する者もいたと聞く。

 長年、地域のクラブを取材していて感じるのだが、上を目指す動きが加速する時に不可欠となるのが「黒船」となり得るよそ者の存在。その役割を果たしたのが、FCKを立ち上げた徳重であった。もちろん、彼は鹿児島の人間ではあったが、長く東京にいたため地元のサッカー界とのしがらみはなく、鹿児島県人会連合会のネットワークも持っていた。加えてスポーツビジネスも学んでおり、若さと情熱にも溢れている。鹿児島のJのクラブの動きを活性化させるには、まさにうってつけの存在であった。

 徳重はFCKを立ち上げた当初から、ヴォルカとの統合を前提条件と考えていた。「鹿児島県の経済規模を考えたら、Jリーグを目指すクラブが2つもあるのは、どう考えても現実的ではありませんでした。それに、同じ県民なら力を合わせようという考えの方が、県内では多数派だったことも大きかったです」とその理由を語る。一方、ヴォルカの選手の中にも統合を前向きに考える選手は少なくなかったようだ。昨シーズンのチーム得点王、山田裕也もそのひとり。「練習環境が良くなるんだったら、早く一緒になればいいのにと思っていました。向こうは午前中に天然芝で練習していましたし」と、当時の心境を語る。

 度重なる交渉の末、ようやく両者の統合が合意に達したのが13年の夏。統合に向けた具体的な作業は、JFL昇格のための地域決勝(全国地域リーグ決勝大会)終了後ということに決まった。このシーズン、九州リーグ優勝を決めたのはヴォルカ(鹿児島教員団から名称変更して、18シーズン目での初優勝だった)。昨シーズン優勝のFCKは2位に終わったが、「補充枠」としてJFL昇格の登竜門に再び挑むこととなった。

 九州リーグから地域決勝に2チームが出場するのは09年以来のこと。鹿児島から2チームが出場するのは、37回続いた同大会で、初めてのことであった。1次ラウンドは、AグループのFCKが青森県の十和田会場、Bグループのヴォルカが兵庫県の五色会場。両者は、決勝ラウンドが行われる新潟県新発田(しばた)を目指し、この過酷な大会に挑むこととなった。

真の意味で「持続してゆくクラブ」となるために

選手をねぎらうFCKの徳重代表(左)。あれから3年、クラブは新たな正念場を迎えている 【宇都宮徹壱】

 地域決勝1次ラウンドは、2日目を終えた時点で、FCKが1勝1敗、ヴォルカは2勝。決勝ラウンドに進む条件は、グループの首位となるか、3グループで最も成績が良い2位(ワイルドカード)になることである。そして迎えた3日目。ヴォルカはFC大阪を2−0で下して、首尾よく首位通過を決めていた。一方、すでに1敗しているFCKがワイルドカードに滑り込むためには、FC大阪をしのぐ成績を収めなければならない。そのために必要なのは、4点差以上の勝利。しかし、前半45分を終えた時点でスコアは0−0であった(相手はFCコリア)。

 現在、鹿児島のアカデミーダイレクターとU−18監督を務める大久保毅、そしてGMの登尾顕徳は、この大会ではそれぞれFCKの監督、ヴォルカのコーチを務めていた(登尾は選手兼任で実質的な監督)。2人とも、この地域決勝での神がかった展開は、生涯忘れられない思い出と語る。

「選手たちには『これがFCKとして最後の試合になるかもしれないから、悔いのないように戦ってこい』と言って送り出しました。確かに厳しい状況でしたが、何かが起こりそうな雰囲気はありましたね。で、後半4分に先制してから、一気に4得点で4−0ですよ!」(大久保)

「ウチは1−0でも決勝ラウンドに行けたんです。もし後半の追加点がなかったら、FCKは5点差でFCコリアに勝たなければならなかった。その意味では、ウチが助け舟を出すことになったと言えますよね(笑)」(登尾)

 かくして、鹿児島の2クラブはそろって決勝ラウンドに進出。2日目に行われた最後の鹿児島ダービーは、4−0でヴォルカが圧勝した。しかし最終順位は、FCKがJFL昇格の条件を満たす3位となったのに対し、ヴォルカは4位。この結果、両者はFCKを主体とした「鹿児島ユナイテッドFC」として統合されることとなった。そして、96年から続いてきた「ヴォルカ」の名前は、この統合をもって消滅することとなったのである。

 統合に至るまでの間、両クラブの間ではさまざまな葛藤があったと聞く。それでも、統合が地域リーグ時代ではなく、JFL昇格が決まった直後だったのは、結果として正解であった。まず、2チームが地域決勝に出場したことで、JFL昇格の可能性は2倍に広がった。また、昇格と統合が同じタイミングになったことで、メディアの注目が集まり、スポンサーも集まりやすくなった。もっとも、統合や昇格が、ゴールではなく始まりにすぎないのも事実。代表の徳重自身、そのことは重々承知していて「Jクラブになる作業と、Jクラブとして持続していく作業は、まるで違いますね」と実感を込めて語っていた。

 クラブは昇格もすれば降格もする。クラブの底力が試されるのは、まさに降格のようなリスクに直面した時であろう。J3は今のところ降格はないが、J2ライセンスの不交付は、今の鹿児島にとって降格に匹敵するくらいショッキングな出来事であった。しかしながら、この一件で現場が意気消沈し、メディアのバリューが下がり、ファンやスポンサーが離れてしまうようでは、クラブの今後は危ういと言わざるを得ない。劇的な昇格と統合の物語から3年。鹿児島は今、真の意味で「持続してゆくクラブ」となるための正念場を迎えている。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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