世界を旅しタフになった“00ジャパン” 日本サッカーの明日のために、ここは勝つ
最初の難関、U−17W杯出場決定戦
“00ジャパン”と称されるU−16日本代表が、UAEとのW杯出場決定戦へと挑む 【佐藤博之】
2000年1月1日以降に生まれた選手たちで構成されることから、“00ジャパン”と通称されてきたU−16日本代表チームが活動を開始したのは、15年2月のこと。約1年半にわたって世界中を旅しながら、選手個々を練習で鍛え、自覚を促し、チームとしての形を整えてきた。
最初に行ったのはインドネシアだった。同年4月、雨季の終わり。慣れない環境の変化に戸惑い、突然のスコールに驚き、デコボコのグラウンドに四苦八苦した。7月にはタイへ赴き、9月には1次予選を戦うためにモンゴルへと渡った。眼下に広がる見たこともないような大草原と、急発展のはざまにある不思議な光景が広がる環境で、選手たちは驚異的な得点力というチームのストロングポイントを存分に表現し、圧倒的強さで勝ち抜きを決めた。
10月にはフランスで行われたバル・ド・マルヌ国際大会に参加。イングランド代表に2点を先行される流れから、最後はFW宮代大聖(川崎フロンターレU−18)による試合終了間際の得点で4−3と奇跡的な大逆転勝ち。続くフランス戦では逆に2点のリードを追い付かれる流れながら、FW中村敬斗(三菱養和SCユース)のアディショナルタイムゴールで3−2の勝利を収めた。オランダとの最終戦は0−3と敗れて鼻っ柱を折られたが、このオランダ戦がチーム結成以来唯一の対外試合無得点という事実が、このチームのポテンシャルを雄弁に物語る。
森山監督が一貫した「タフになれ」
7月にはオマーンへ遠征。新戦力をいきなり海外遠征にぶち込んでテストするという荒技をしながら、中東アウェーマッチを初体験。その難しさも実感した。そして9月、再び決戦のためにインドへ戻ってきたチームは、AFCU−16選手権のグループステージで快進撃。ベトナムに7−0の大差で勝利すると、続くキルギスには8−0、そしてオーストラリアとの最終戦では控え組主体の構成ながら、それでも6−0。圧倒的な強さで準々決勝まで駒を進めてきた。インドの環境は普通の日本人ならば大きなストレスとなるものだろうが、この若さで世界中を旅してきた選手たちである。その経験値は、確かに財産となっている。
これらはすべて、未来への投資だ。森山佳郎監督が選手たちに言ってきたことは一貫していて、つまり「タフになれ」ということ。練習からまず激しさを求め、シャイで大人しい部分のあった選手たちをあおり続けた。「お前らのようなエリートは、努力を忘れてみんな消えていくんだ」とまで言った。今では当たり前のようにできるようになったシュートブロックや強いコンタクトプレーも素早い攻守の切り替えも、最初はほとんどの選手がやれなかった。元よりあった攻撃の豊かなタレント性に、培ったタフネスが加わったのが“00ジャパン”である。
その最初の集大成と言うべき戦いが、いよいよ始まる。それは「ここで負ければ、何の得るものもなく帰らないといけなくなる」(森山監督)戦いでもある。