「金ゼロ」でも見えた日本の好材料 いかにしてパラ強化につなげるか?

瀬長あすか

「英雄」に届かなかった山本

金には届かなかったものの、走り幅跳びで自己記録タイをマークし銀メダルに輝いた山本篤 【写真:伊藤真吾/アフロ】

 9月7日から12日間にわたって行われたリオデジャネイロパラリンピック。日本は今回から正式競技となったトライアスロン、カヌーを含む17競技に選手を送り込んだ。視覚障がい者柔道57キロ級の廣瀬順子(伊藤忠丸紅鉄鋼)が女子として同競技初メダルの銅を獲得、車いすテニス・男子ダブルスの国枝慎吾(ユニクロ)、齋田悟司(シグマクシス)組も銅メダルに輝くなど、連日のメダルラッシュに沸いた。

 その日本代表選手団のメダル獲得数は銀10個、銅14個の計24個で、前回ロンドン大会の16個を上回ったものの、金はゼロ。閉幕後の記者会見で大槻洋也団長は、目標の金メダル10個を達成できなかったことについて「選手は頑張った。その結果、金ではない色のメダルだったということ」と言葉を振り絞った。

 大会終盤の17日、走り幅跳び(T42)の世界記録(当時)を4月に更新した山本篤(スズキ浜松AC)が、悲願の金メダルにチャレンジした。山本は4回目の跳躍で自己記録に並ぶ6メートル62をマーク。だが、ライバルの一人、ハインリッヒ・ポポフ(ドイツ)が1回目の跳躍でマークした6メートル70に8センチ及ばず、結果は銀メダル。大舞台で自己記録タイを記録する勝負強さを見せたものの、本人は「金メダルを目指してきたので銀メダルは悔しい」と唇をかんだ。

 日本選手団の金メダル第1号を熱望され、プレッシャーもあっただろう。しかし試合後に「ここで金を取れば英雄になれると思っていた」と強いメンタリティーで臨んだと話した。

競技環境がメダルに直結

銅メダルを獲得したウィルチェアーラグビー日本代表は、選手の多くが障がい者アスリートとして企業に所属している 【Getty Images】

 スズキ浜松ACに所属し、大阪体育大を練習拠点にする山本は、早くから練習に専念できる環境を築き、世界選手権2連覇(2013年、15年)などの実績を残してきた。ロンドン大会当時、日本で山本のようなパラアスリートは少なかったが、13年9月に東京パラリンピック開催が決定して以降、選手たちを取り巻く環境は格段に変化。トップ選手や競技団体を支援する企業も増え、どのパラ競技も強化合宿や海外遠征の回数が増加傾向にある。

 リオでは日本に金メダルこそ生まれていないが「競技環境の良い選手が結果を残し始めている」と山本は実感している。

 また、今大会は、団体競技のウィルチェアーラグビーも初めて銅メダルを獲得した。予選では敗れはしたものの、銀メダルを取った米国を延長戦まで追い詰め「世界一が見えた」とエースの池崎大輔(三菱商事)は手応えを語っている。

 その躍進のひとつの要因に、「競技環境の変化」を挙げることができる。ウィルチェアーラグビーの日本代表は、実は12人中9人が「障がい者アスリート」として企業に雇用されており、競技優先の勤務形態で働いているのだ。

 そのため、選手たちが平日に集まって、フィジカルの強化やコミュニケーションを深める自主的な合宿も可能になった。日本をメダル獲得に導いたあうんの連携プレーは反復練習が生んだものだった。

 このように競技環境が改善されている中で、まだ不足しているものは何なのだろうか。水泳で銀2つ、銅2つ(視覚障がいS11)のメダルを獲得した木村敬一(東京ガス)のコーチで、五輪選手の指導も担当する日本大の野口智博教授は話す。

「国内各地でもっと長水路のプールが使えるようになるとうれしい。現状は、トレーニング施設を使うにも制限があるので……来週にでも使えるようにならないもんですかねぇ」

 現状、大学の施設などで練習する選手たちも多いが、練習場所の確保に頭を悩ませている選手がまだまだ多いようだ。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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