追悼・千代の富士 正解へ最短距離で生き抜いた稀代の大横綱

荒井太郎

「ぶつかっていけば何が足りないか分かる」

1990年の3月場所、すくい投げで花ノ国を下し1000勝目を達成した 【写真は共同】

 千代の富士の強さとは――。挙げたらキリがないが、その1つに、最短距離で正解に到達できる能力に極めて優れていたと言えないだろうか。いち早く自分の課題を見つけ出し、あまたの選択肢からベストチョイスを引き出す思考法を本能的に持ち合わせていたように思えてならない。生前は稀勢の里について実力を認めつつも、口を酸っぱくして白鵬のもとへ出稽古に行くことを勧めていた。

「横綱の胸にぶつかっていけば、自分には何が足りないのかが分かるはず。大きな壁は日々、少しずつ手ごたえを感じながら突き破っていくものなんだよ」

 自身が出稽古で苦手を克服した経験も踏まえ、昭和の大横綱には賜盃に届きそうで届かない大関が、綱をつかむための“最短距離”が手に取るように見えていたのかもしれない。それは九重親方への取材を通しても小生が感じることでもあった。

何もかもお見通しだった“ウルフ”の眼力

 記者が10の記事を書くためには12、13の取材が必要である。時には20の取材をしなくてはならないときもある。しかし、九重親方の場合は違った。10の記事を書くために10の取材をするだけで十分だった。こちらの意図を先回りしてキャッチし、見出しになりそうな言葉でズバッと返してくれる。記者として快感すら覚えることも少なくなかった。

 まな弟子の千代鳳は師匠の思い出について、こんなことを言っていた。

「一番うれしかったことは、小結の場所で横綱を倒したとき『俺が言ったとおりにやれば、横綱にも勝てるんだよ』と笑いながら話してくれたことです。あの笑顔は忘れられません」

“ウルフ”の眼力にかかれば、何もかもがお見通しだったのである。

「これからは、言われたことを思い出しながらやっていきたい」と千代鳳。自分には何が足りなくて、何をすれば結果を残せるのか。大横綱にしてたたき上げの関取を多く育てた名伯楽の教えは、確実に伝授されている。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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