イチローは最大の宿敵で最高の同士 大塚晶文が忘れられない無言のハグ

岡田真理
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試合前に言葉を交わす大塚とイチロー(写真は2006年のもの) 【Getty Images】

 どうしたらこの男から三振が取れるのか――大塚晶文氏(現中日2軍投手コーチ)は、イチローに挑む際そればかり考えていたという。一方で、2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、投手、野手それぞれで唯一のメジャーリーガーとして王ジャパンを支えた。今もイチローの姿に胸を熱くしているという大塚氏に、“宿敵・イチロー”と“同士・イチロー”の姿を振り返ってもらった。

“イチローの舞”に引きずり込まれた

――イチロー選手の存在を初めて知ったのはいつ頃ですか?

 イチローは僕より二つ年下なので、高校時代も被ってはいるんですけど、当時はまったく知らなかったですね。初めて知ったのは、彼が最多安打の日本記録を更新したシーズンだったと思います。僕はまだプロ入りしていなかったので、印象としては「すごい選手がいるんだな」くらいでしたね。

 当時オリックスでは「パンチ」「イチロー」のコンビが話題になっていたんですけど、どちらかというと僕は同じ社会人野球にいたパンチ佐藤さんのほうに注目していました。ところが、その後イチローがどんどん活躍し出して。新しいタイプのスターが誕生したなと思って見ていましたね。

――その後大塚さんが近鉄に入団し、1997年6月1日に初対戦していますが、その時のことは覚えていますか?

 覚えていますよ。僕は8回から投げていて、敬遠のフォアボールでしたね。当時イチローはすでにスターで、すごく打っていたので、ベンチも恐れていたんでしょう。もちろん勝負したい気持ちはあったので悔しかったですけどね。

 僕はいつも、イチローから三振を取ってやろうという気持ちで投げていたんです。でも、結局一度も三振を取れないまま彼は日本を去ってしまったので、悔しさがずっと残っていて。だから僕がメジャーに行った時、これでまたイチローと勝負できると思いました。今度こそなんとかやってやろうという思いは常に持っていましたね。でも、イチローが打席に立つとかき乱されるんですよ(笑)。打たれるイメージばかりだったし、怖さがありましたね。

――“かき乱される”というのは、何かオーラのようなものを感じてのことですか?
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著者プロフィール

1978年、静岡県生まれ。立教大学文学部卒業。プロアスリートのマネージャーを経てフリーライターに。『週刊ベースボール』『読む野球』『現代ビジネス』『パ・リーグ インサイト』などでアスリートのインタビュー記事やスポーツ関連のコラムを執筆。2014年にNPO法人ベースボール・レジェンド・ファウンデーションを設立し、プロ野球選手や球団の慈善活動をサポートしている。

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