これぞ“手倉森ジャパン”のゲーム展開 2年半の積み重ねを示した松本の夜
チームが培ってきた攻守の使い分け
手倉森監督は「ゲームの流れを読みながらゲームをできるようになった」と試合を評価した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
ほとんどの選手が育成年代からボールを支配して主導権を握る「自分たちのサッカー」をたたき込まれる中で、それができないときの選択肢を持てなくなってしまっていたのがリオ五輪世代である。手倉森監督は就任当初、あまりに一本調子に、そして淡泊に戦ってしまう選手たちに驚きを隠せなかった。「悪いときに悪いままやられる」というウイークを克服するための「割り切り」と、複数のバリエーションを持って戦う「柔軟性」の2点がチーム強化のポイントとなった。
その意味で南アフリカ戦は、PKによる不用意な失点こそあったものの、悪い時間帯で焦るのではなく、しっかり我慢して戦うという割り切ったブレーキの部分と、相手のスキを見逃さずに一気呵成(かせい)に加速していくアクセルの部分をしっかり出せた試合だった。それはまさにこのチームが2年半で培ってきたものでもある。チームとしての統一感を持って、攻めるときと守るときを使い分けることができたこと。それは間違いなく成長の証しだった。
もちろん、「あの25分間の入り方をしていたら(五輪の)本大会では厳しい」という手倉森監督の指摘はそのとおりで、「いい反省材料」(大島)も出たのも確か。ただ、U−23世代単独で戦う最後の試合で、手倉森ジャパンとして取り組んできたものが出ていたこと自体は、確実にポジティブな要素だった。
U−23世代から選ばれるのはわずかに15名
U−23世代からリオ五輪代表メンバーに選ばれるのはわずかに15名だが、個々がなし得た成長が消えることはない 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
代表選考は瞬間最大風速を問う大学入試のような場ではない。最終選考の場になった南アフリカ戦のプレーだけで何かが決まることはなくて、最後の微調整の場だった。選手たちも総じて落ち着いた様子で、「できることはやった。あとは監督が決めること」(室屋)、「もう待つだけなので」(伊東純也)と穏やかに語っていたのが印象的だった。この雰囲気もまた、手倉森監督とチームスタッフ、そしてこれまで招集された78名の選手たちが作ってきたものだ。
チームとして培ってきたものがあり、個々の成長があり、組み合わせの妙もあって、最後のメンバーが決まる。たとえ「託す側」になったとしても、それがサッカー人生の終幕を意味するわけではない。試合後、選手たちを前にした手倉森監督は「『託す側』に回ったやつは、A代表を目指せ」と言い切ったと言う。
選ばれるのは18人。オーバーエイジの3名を除けば、リオ五輪世代から選ばれるのはわずかに15名である。だが、この2年半で世代として培ってきた力と、切磋琢磨(たくま)を重ねることでなし得た個々の成長が消えることはない。松本の夜、日本サッカーの次代を担うU−23世代は、これまでの確かな成長と、これからの可能性を静かに、しかし確実に示してくれた。