ハーフナーを成長させたさまざまな出会い 鳥栖とフィテッセ、思い出深い2人の恩師
フィテッセでの恩師ルッテンとの出会い
ハーフナーは「ルッテンとの出会いがあったからこそ、結果を出すことができた」と語った 【Getty Images】
「俺のことを見たら、普通はストライカーで使うだろうけれど、あの時はウィルフリード・ボニーがいました。それでも俺を使いたいのがルッテンでしたし、中盤は全部プレーしました。中盤には他の選手もいる中で、ニッキー・ホフスには『次は俺のポジションを奪いにきたな』と言われたこともありました(苦笑)。ルッテンとの出会いがあったからこそ、シーズンの後半戦で9得点という結果を出せましたし、オランダでの自分の評価も上がりました。そういう意味では、出会いに恵まれていました。
ルッテンが監督になったこともあって、フェイエノールトからオファーがあったんですよ。でも、自分はオランダリーグで2年半プレーしたから、他のリーグでやりたいという気持ちがありました。夢はスペインリーグ(でプレーすること)でしたし……。
今はフェイエノールトに行けばよかったと悔いが残ります。ルッテンと話しても『間違った選択をしたな』と思います、頑固すぎました。でも、それも人生です。もし、(コルドバで先発出場した)最初の試合(レアル・マドリー戦/0−2)で点を取っていたら流れは違ったと思いますし、クラブでの(自分の)扱いも違ったかもしれない。人生の中には良いこともあれば、悪いこともある。そして海外はいろいろなことを経験できて、やっぱり楽しいなという思いがありますね」
鮮明に記憶に残った岸野監督のある言葉
当時鳥栖を率いていた岸野監督。彼にかけられたある言葉が鮮明に記憶に残っているという 【写真:アフロスポーツ】
18歳でマリノスのトップチームに昇格したハーフナーだったが、レギュラーポジションをつかめなかった。期限付き移籍先のアビスパ福岡(当時J2)では7ゴールを挙げたものの、翌年マリノスに復帰した後はゴールを奪えなかった。
「その時はまだ21歳でしたが、やっぱり自分は結果にこだわっていました。しかし、マリノスで試合に出ることができず、『やべえな、やべえな、やべえな』と俺は勝手に自分にプレシャーをかけて追い込んでいました。そんな時期に、岸野さんが『会って話がしたい』と(自分の元に)来てくれた。あの時は試合にあまり絡めておらず、精神的に病んでいたから正直『何だよ……』という感じでした。
待合場所のホテルに着いた瞬間、岸野さんは『お前がここに来た時点で、俺の勝ちや。お前は必ず鳥栖に来る』と言ったんです。ガタイの良い岸野さんを見て『なんだ、このいかつい人は』と思いました」
この「俺の勝ちや」という、ナンパのようなせりふをハーフナーは今でも鮮明に覚えている。
「マリノスにいた頃から、性格に難があると言ったら何ですが、とても短気なんです。監督やコーチにキレたりしたこともあります。それに対して、マリノスでは放っておくような感じでした。他のコーチから『マイク、お前謝りに行けよ』と言われても、俺は『はあ!?』と。こっちだって納得がいかないから(謝りには行けない)というのがありました」
ハーフナーが鳥栖へ期限付き移籍をすると、岸野は正面からぶつかってきた。
「俺が怒っても、怒り返してきたのが岸野さんでした。それで試合中、けんかみたいになることもありました。コンディションが整わず、試合勘もないまま鳥栖へ移籍したので、90分間フルで戦う体力がなかった。
鳥栖での初戦は体力が続かなかったので、60分ぐらいでベンチを見たのですが、岸野さんの『お前が走らなかったら、誰が走るんだ!』っていう怒鳴り声が聞こえてくるんです。あと、『お前がやらなかったら、誰がやるんだ!』って。それで『うるせえ!』って怒鳴り返したこともあった」
今思えば、とんでもない22歳である。
「岸野さんがそうやって接してくれたから、俺も冷静になって、大人になり始めたかもしれません。試合が終わった後、ちゃんと(自分を)呼んで『おい、俺の言ったとおりだろう。結局、最後に点を入れたのはお前じゃないか』と声をかけてくれるんです。本当に熱い人です。岸野さんはどこまで覚えているか分からないですが」
心技共に円熟味を増し、新シーズンへ
心技共に円熟味を増したハーフナー。新シーズンはどのような活躍を見せてくれるだろうか? 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】
「そうですね。結局、(鳥栖を離れる前の)最後の天皇杯の試合でもけんかしていましたからね。岸野さんから言われたことに対して『何だ!』って……。ささいな口げんかです(笑)。岸野さんはすごく思い出に残っている監督です。俺は鳥栖でちょっとブレークして、翌年甲府へ行ってJ2の得点王になりました。そのままJ1へ昇格し、17点取りましたから、今の俺は鳥栖で始まったようなものです。
ルッテンはルッテンで、自分の理論だけをぶつけてくる感じがあった。こっちが何を言おうが関係ない(苦笑)。でも、あの人(ルッテン)も試合が終わってから、一緒に映像を見て『ここが良かった』『ここが良くなかった』と具体的に教えてくれるから、こっちも『なるほど』となる。選手が自分で試合を振り返っても、たまに何にも見えない時がある。そういうのをルッテンはしっかり何が良くて、何が良くなかったかというのを言ってくれる。だからあの時、俺は成長できたかなと思っています」
トップチームに昇格した頃のマリノスのメンバーをハーフナーがふと、そらんじ始めた。奥大介、坂田大輔、清水範久。大島秀夫、狩野健太、田中裕介。中澤佑二、栗原勇蔵、ドゥトラ、マルケス。松田直樹、上野良治、久保竜彦、榎本哲也。監督は岡田武史。ハーフナーの父、ディドがGKコーチ。
「すごいメンバーの中でプレーできました。代表選手も多かった。自分はベンチに座るか、“19人目”のメンバーとして(試合に)ついて行くか。あの頃から、熱い気持ちはずっと持っていました。自分の若い時の練習風景を見てみたいです。今見たら、『こいつ、やばいなあ』と思う気がします。
今は大人になりました。24歳(甲府時代)の時に、娘ができたのも大きいと思います。スペインでうまくいかなくて、そこからちょっと落ちたけれど、しっかり這い上がることができたのは昔のことがあったからです。コルドバで試合に出られなくても、ひねくれることはなかったです」
今季、ハーフナーのゴールの内訳をみると右足で4本、左足で5本、ヘッドが7本と、その多彩さが際立っている。心技共に円熟味を増した男の新シーズンが楽しみだ。