存続危機に立つ熊本ヴォルターズ 被災地にあるプロスポーツの苦悩
一変していた益城町総合体育館
球団初のシーズン二桁勝利をマークし、チームが軌道に乗り始めていた熊本ヴォルターズだったが…… 【写真提供:熊本ヴォルターズ】
4月、熊本地震で甚大な被害を受けた熊本県益城町。益城町総合体育館をホームアリーナとしていたプロバスケットボールチーム、熊本ヴォルターズは、4月16日、神奈川で開催中だったNBLの3連戦を1戦残して急きょ熊本に戻った。家族の安否を確認し、益城町総合体育館に入ったのは4月19日。毎日のようにボールをついていた体育館の様子は一変していた。
地元・熊本出身でチームのキャプテン、小林慎太郎はこう振り返る。
「自分たちがいつも歩いている廊下にたくさんの人が寝ていて、それを見たときに、バスケットボール選手という以前に、人としてなんとかしなければと思いました」
これまでプロ選手としての自分を支えてくれた熊本のために、選手たちのボランティア活動はこの日から始まった。
軌道に乗り始めたチームを襲った熊本地震
そんな矢先に熊本地震は起こった。
ホームアリーナの益城町総合体育館の天井は床に落ち、避難所へと変貌した。熊本市や八代市などこれまで試合で使用していた体育館も避難所となり、県内での練習や試合の開催は不可能に。ヴォルターズは、リーグ戦6試合を残し今シーズンの終了を余儀なくされた。
「本当に正直に言うなら、残り6試合やりたかったですよね。チームは過去最高勝率を収めていて、自分自身もこの8年のキャリアの中で一番良い状態でしたし。でもこの地震でバスケどころではなくなった……」
キャプテンの小林は、言葉をつまらせ涙を流した。
球団発足時から地元熊本出身のキャプテンとしてチームをけん引してきた。球団の運営や戦績がふるわないときも、いつも選手の代表として意見を発信し、その姿は常に気丈だった。
しかしこの地震の後、キャプテンの目には度々涙がこぼれる。
プロ選手としての自分を支えてくれた熊本のために今できることは何か――。これまでバスケットでしか返してこなかった感謝の思いを違う形で返そうと、小林ら選手たちのとった行動は早かった。
地震直後に「ヴォルターズ選手会がんばるばい熊本!」を発足
ヴォルターズの選手達は、益城町に入った4月19日に「ヴォルターズ選手会 がんばるばい熊本!」を発足し、被災地でのボランティア活動を始めた 【写真提供:ヴォルターズ選手会がんばるばい熊本!】
選手会はSNSで会の発足を発表し、彼らのもとには、県外のファンや支援者から水や食料、オムツなど大量の物資が集まった。選手たちは自家用車を使ってそれを総出で配布、小中学校などの避難所や老人ホームなどを訪問して回った。物資不足の提供が落ち着いた後も、炊き出しや子どもたちのためのバスケット教室などを開催している。
避難所で小林と握手を交わした女性は「ぎゅっと手を握っていただいた。自分のことをそっちのけにして、体も動かさないといけないのに、こうやって来ていただいて、うれしいし、いっぱいパワーをいただきました」と語った。小林は「パワーを与えているのか与えてもらっているのか、分からない状況ですね。握手をした手に力強さや頑張っていこうという気持ちが伝わってきます」とボランティア活動のやりがいを実感する。
熊本出身の高濱拓矢は「僕たちのチームは地域密着が目標。ボランティア活動を通して、より県民の方とのつながりが増えた」と語り、長崎出身で熊本に残り活動を続ける神原裕司は「訪問した老人ホームで泣いてくださる方が多くいて、そういう方たちの『ありがとう』という言葉が心にしみる」と活動を振り返った。
しかし、そんな選手たちに苦難はさらにふりかかる。