F1、2016シーズンがいよいよ開幕へ マクラーレン・ホンダ、追撃の体制整う

田口浩次

マクラーレン・レーシングCEOにカピト氏が就任

チーム改革を行ったマクラーレン・グループCEOのロン・デニス氏 【Getty Images】

 たしかに、その熱い走りから多くのファンがいたアレジ氏の意見には一理ある。そして、アレジ氏の言う、どうエキサイティングに見せるべきか、という部分において、大きな役割を担っているのが、今年のマクラーレン・ホンダの競争力だ。

 15年のチームコンストラクターズランキングでは10チーム中9位。レース最高位は5位どまり。1966年にマクラーレンがF1にデビューして以来最低の成績だった(※67年はコンストラクターズ10位だったが、レース最高位4位)。まさにどん底のシーズンだった。誰もが88年の16戦15勝を筆頭に、92年までの5年間に4回王者に輝いた最強のマクラーレン・ホンダの再来を期待しただけに、久しぶりにF1を見ようとしていたオールドファンを中心に、さらなるF1離れの遠因となってしまったことは否めない。

 もちろんマクラーレンもホンダも、そうした状況にいつまでも甘んじていたわけではなかった。まずマクラーレンは、2014年1月にロン・デニス氏がグループのCEOとチーム代表に復帰してから、マクラーレン・レーシングCEOとしてチームを先導してきたジョナサン・ニール氏が退任(マクラーレン・テクノロジー・グループへ異動)。元フォルクスワーゲン(VW)のモータースポーツ責任者のヨースト・カピト氏をCEOとして迎えた。

 カピト氏は1985年にBMWのモータースポーツ部門でレースとの関わりをスタートさせ、89年にポルシェAGのモータースポーツ部門へ。さらに96年から2001年まではザウバーF1チームの執行役員を務め、その後ヨーロッパ・フォードのモータースポーツ部門で働いた。12年からはVWのモータースポーツ部門を指揮した生粋のレース人材である。08年にスーパーアグリF1チームがチーム存続の危機に直面したとき、チーム代表候補として名前が挙がったこともある。チーム代表のロン・デニス氏は15年の夏場からカピト氏にアプローチしてきたことを認めている。

ホンダの体制も刷新、長谷川氏が総責任者に

 この動きに呼応するように、2月になると日本人ドライバーの松下信治をF1テストドライバー兼開発ドライバーとして起用することを発表。マクラーレンに対してホンダの関わりが深くなったニュースに続いて、2月23日にホンダが、これまでF1プロジェクト総責任者だった新井康久氏から、ホンダのF1プロジェクト第三期(00〜08年)にエンジンのレースエンジニアやチーフエンジニアを務めた長谷川祐介氏の起用を発表した。

 同時に本社役員にF1担当役員を新設し、松本宣之取締役が就任。松本氏は、ホンダの頭脳とも言うべき本田技術研究所の代表取締役社長でもある。このF1担当役員の新設を唱えたのは、グループトップである本田技研工業の代表取締役社長・八郷隆弘氏だと言われている。少々古いデータだが1万3292名(12年3月末)という研究員たちのトップがF1担当役員となったことで、その気になればレース開発部門のHRD Sakuraだけではなく、1万人を超える研究所の頭脳から新たなアイデアや人材を募集することも可能になる。

 こうして、レースに関わる人材を入れ替えながら、新たな体制となったマクラーレン・ホンダは、2月22日からの4日間と3月1日からの4日間、合計8日間のテストでは710周(2054キロ前後)を走行。合計12日間のテストで380周(1751キロ前後/8日間換算だと1167キロ前後)しか走行できなかった2015年と比較すると、大きく走行距離が伸びた。

 もちろん、トップのメルセデスとの差は依然大きいが、15年はメルセデスの総走行距離(6121キロ前後)に対して28.6%しか走行できていなかったものが、16年はメルセデスの総走行距離(3743キロ前後)に対して54.9%まで達した。もちろん、逆に言えば、まだメルセデスの半分強しか走行をこなせていないのだが、まずは走行データを取り、相手を分析して追いかけるための体制は準備できたといえるだろう。

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