サンウルブズ・田邉コーチが目指すもの 「沈みかけたところから豪華客船に」

向風見也

サンウルブズのアシスタントコーチに就任

現役時代は名キッカーとして活躍した田邉淳コーチ 【写真:アフロスポーツ】

 世界最高峰のリーグ戦であるスーパーラグビーに、初の日本人指導者が誕生した。田邉淳、37歳。2016年度から初参戦するサンウルブズのアシスタントコーチとして、野望を明かす。

「どこにもないマルチカルチャーのチームを作りたい」

 日本をベースとしたサンウルブズは、人種のるつぼだ。マーク・ハメットHC(ヘッドコーチ)はニュージーランド(NZ)人で、チームの大半を占めるのが堀江翔太主将ら日本人選手。元アルゼンチン代表のトーマス・レオナルディ、フィジー人のジョン・スチュワート、サモア代表のトゥシ・ピシ、オーストラリア出身のエドワード・カーク、アメリカ代表のアンドリュー・デュルタロも並び、多国籍軍を形成している。そんななか、語学堪能でもある田邉は「間に入って、みんなをまとめられたら」と言う。

「3〜5年経ったら、サンウルブズでやってみたいという外国人選手が増えてくる、そういうチームを作りたい。海外へ行っている日本代表の選手にも、ああ、サンウルブズでやっとけば良かったなと思われるようにもしたい」

「どの選手に聞いても、勝利はすぐそこにあると言っている」

サンウルブズは初戦のライオンズ戦に13対26で敗れた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 2月27日、東京の秩父宮ラグビー場。ライオンズとの開幕節を迎えた。やや粗さの目立った相手に13対26と敗れた。もっともサンウルブズは、下馬評では苦戦必至。他の常連クラブが前年から始動したのに対し、新参者であるサンウルブズの初顔合わせは約4週間前だったからだ。それだけに、試合後の田邉の声も暗くはなかった。

「どの選手に聞いても、勝利はすぐそこにあると言っている。その勝利をつかむために、細かいところを詰めていく」

 7月までのレギュラーシーズンを見据え、「沈みかけたところからスタートしたのはわかっている。そこからどう豪華客船にしていくかに、手腕が問われます」とも続けた。言葉の選択で人をわくわくさせる、コーチとしての魅力をにじませた。

「選手は世界に出て行った。コーチも出て行かなきゃ」

 現役選手生活の最終年である2013年から、田邉は「将来、コーチとして世界に行きたい」と宣言していた。

 国内所属先のパナソニックは、くしくもこのシーズンから日本のトップリーグを3連覇することとなる。田邉がプレーしていた時代は、いわば黄金期の始まりのころだ。

 異文化との距離は近かった。2014年度から監督となるロビー・ディーンズアドバイザー(当時)にはオーストラリア代表での指導経験があり、レッズで指揮を執ったフィリップ・ムーニー、クルセイダーズの肉体強化に貢献したアシュリー・ジョーンズなど、スーパーラグビーで実績を残した名手がそろって入閣していた。ロッカールームでは、ハイランダーズで日本人初のスーパーラグビープレーヤーになった田中史朗がNZのラグビー文化を仲間に伝えていた。レベルズにも籍を置く堀江も、このパナソニックで主将を務めていた。

 この年度を選手兼コーチとして過ごした田邉は、自然な流れで大志を抱いた。

代表HCに選出基準を質問する積極性

身長171センチと小柄ながらも、日本代表としても活躍した 【写真:アフロスポーツ】

 15歳のころから約9年間、ニュージーランドはクライストチャーチで暮らした。「不安はなかった。行って、不安になるタイプですね」。帰国後はパナソニックの前身である三洋電機とプロ契約を結び、ゴールキックの得意なフルバックとして躍った。2008年に右膝の前十字靭帯、後十字靭帯、さらには内側をいっぺんに断裂しながら、翌09年にはベストキッカー賞と得点王をそれぞれ初受賞した。

 身長171センチ、体重76キロという小さな身体で、日本代表にも選ばれた。2010年にジョン・カーワンHC、2012年にはエディー・ジョーンズHCにそれぞれ招かれた。田邉はいずれの折も、どうしたら代表に選ばれるのかをボスに直接、質問していた。カーワンの時は携帯電話の番号を調べて英語で話し、ジョーンズの時はイベントで本人と顔を合わせる予定だった関係者に伝言、間もなくコールバックを受けた。

 冒険心と繊細さを持ち合わせ、自分の願いを叶えるべく具体的に行動する。ずっと田邉はそういう人で、スーパーラグビー挑戦へも努力を重ねた。田中に「お前から見て、俺というコーチはどうなん?」と聞いたこともあった。「人の理論をコピーアンドペーストするは無理やと思うんです。それを、どうしてそうやっているのかを学ぶ」と、自分なりのラグビーの捉え方も論考した。

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著者プロフィール

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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