イスラエル・サッカーの現場を歩く 政治と宗教と民族が前景化した国にて
イスラエル入国時での出来事
青空にはためくイスラエル国旗。中央の「ダビデの星」はユダヤ人の保護と安全を象徴している 【宇都宮徹壱】
「あなたは昨年、二度もイランに入国していますね。いったいあの国で何をしていたんですか? え、取材? いったい何の取材ですか? そもそも9月と10月に入国するなんて、明らかに不自然です。あなたはいったい、何の仕事をしているんですか?」
私のパスポートには、中東諸国のビザやスタンプがベタベタついている。いずれも、過去10年の日本代表取材の「勲章」みたいなものだが、係員の男はイランのビザが間を置かず2枚も貼られていることに、深い不信感を示した。周知のとおりイスラエルは、周辺の中東諸国とは潜在的な敵対関係にあり(アラブ諸国で国交があるのはエジプトとヨルダンのみ)、とりわけイランについては「脅威」と見なしている。しかしそれはお互い様で、イランをはじめサウジアラビア、イラク、レバノン、シリア、イエメンといった国々では、パスポートにイスラエルのスタンプが押されていると入国できないと聞いていた。
今回、イスラエルに行こうと思った理由のひとつに、「パスポートの切り替え」という絶妙なタイミングがあった。日本のパスポートの場合、入国日から6カ月以上の有効期間があれば、ビザなしでかの国に渡航できる。そして、今回の旅でイスラエルの入国スタンプを押されても、すぐにパスポートを更新するので9月から予定されているワールドカップ(W杯)アジア最終予選の取材に支障をきたすことはない。そのかわり、イスラエルの入国審査を甘く見過ぎていたのは失敗だった。
その後、日本代表の取材のためにイランに2回入国する必要があったことを何とか理解してもらい、無事にイミグレを突破することに成功。20分の押し問答から開放されたときは、思わず全身のこわばりが一気に抜けていくのを感じた。だが、それ以上に脱力したのは、入国スタンプが押されなかったことだ。なんと、2013年1月にスタンプは廃止され、代わりに写真入りの入国カードを配布される。「なんだかなあ」と深いため息をつくしかなかった。
アジアと欧州との間で揺れるイスラエル
名門・マッカビ・テルアビブのゴール裏。AFC所属時代は2度、アジアチャンピオンになっている 【宇都宮徹壱】
日本のニュースでもたびたび報じられるイスラエルだが、しかし大多数の日本人にとっては遠い国であり、そして「できれば行きたくない国」なのであろう。2年前のガザ侵攻の記憶はまだ生々しく、昨年から世界中で頻発するテロのニュースを見ていれば、イスラム諸国の宿敵たるイスラエルに「テロのリスクあり」と判断してしまうのも、無理からぬことだと思う。
正直なところ、出発前はイスラエルに赴くリスクをあれこれ考えたし、周囲からもいろいろ心配していただいた。それでも現地に赴いたのは「パスポートの切り替え」だけが理由ではない。これまで中東のさまざまな国々を取材してきたが、イスラエルを見ておかなければ中東の全体像が見えてこないと常々感じていた。加えて、AFC(アジアサッカー連盟)とUEFA(欧州サッカー連盟)という2つのテリトリーの中で揺れ動いてきた、かの国のサッカー地政学に強い関心を抱いていたことも大きかった。
イスラエル・サッカー協会の設立は建国よりも古く、英国委任統治領時代の1928年までさかのぼる。現在のパレスチナ・サッカー協会の設立年も1928年。もともと両者は「エレツ・イスラエル(ヘブライ語で「イスラエルの土地」の意味)」あるいは「パレスチナ」の名称で29年にFIFA(国際サッカー連盟)に加盟している。ユダヤ人が多数派を占めていたとされているが、少なくとも当初はアラブ人も共存していたようだ。1934年のW杯予選では「パレスチナ代表」としてエジプトと対戦。アウェーで1−7、ホームでは1−4で敗れている。
イスラエル建国後、名実ともにイスラエル・サッカー協会となると、当初はAFCに加盟。アジアカップ優勝(64年)、そしてW杯出場(70年)を果たしたものの、中東戦争の影響でアラブ諸国がイスラエルとの対戦をボイコットするようになり、74年にはAFCから除名処分される(前年の第4次中東戦争が決定打であったとされる)。以降、イスラエルは大陸連盟に属さない状態で、オセアニアやヨーロッパでW杯予選を戦うことを強いられ、92年になってようやくUEFAの正式なメンバーに迎えられた。なお、アラブ側のパレスチナ・サッカー協会は、協会設立から70年後の98年に、FIFAとAFC加盟を果たしている。