イスラエル・サッカーの現場を歩く 政治と宗教と民族が前景化した国にて
ユダヤ教のシャバットに注意
マッカビ・テルアビブ(黄色)とマッカビ・ペタク・チクバの一戦。フィジカルコンタクトが激しい 【宇都宮徹壱】
サッカーの試合が行われるのは、基本的にシャバットが明ける土曜日の夜だが、この時までに試合が行われる都市に到着している必要があるのだ。たとえば土曜日にエルサレムに滞在していて、3時間かけてハイファの試合を見に行こうと思っても、19時になるまでバスも電車も動かない。私もこのシャバットの“わな”に引っかかってしまい、泣く泣く1試合分の観戦を諦めることになった。
国内のトップリーグ、イスラエル・プレミアリーグに所属しているのは14チームである。そのうち、マッカビ・テルアビブ(優勝回数21回)、ハポエル・テルアビブ(同13回)、マッカビ・ハイファ(同12回)、ベイタル・エルサレム(同6回)が「4強」とされている。タイトル数では、マッカビとハポエルを擁するテルアビブ勢が他を圧倒しているが、02−03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでイスラエル勢として初めてグループリーグ進出を果たしたマッカビ・ハイファ、国内最大の(といってもキャパ3万4000人)のテディ・スタジアムを本拠するベイタル・エルサレムも人気、実力、そして資金力で伯仲している。
今回、私が取材したのは、1月23日にテルアビブのブルームフィールド・スタジアムで開催された、マッカビ・テルアビブ(この時点で2位)とマッカビ・ペタク・チクバ(同4位)というカード。結果はマッカビ・テルアビブが3−1で勝利したが、特に世界的に有名な選手がいるわけでもなく(強いて挙げれば、セリエAのパレルモでプレーしていた、マッカビ・テルアビブのエラン・ザハヴィくらいか)、日本とゆかりのある選手もいない(ただしマッカビ・テルアビブを率いるピーター・ボス監督は、ジェフ市原でのプレー経験がある)。試合内容について、ここで細く描写しても日本のサッカーファンにはピンと来ないだろうから、この試合で気づいたことを3点だけ挙げておく。
まず、スタジアムのセキュリティーが拍子抜けするくらい緩かったこと(少なくともテロを警戒するような警備ではなかった)。次に、スタジアムのインフラは中東のそれと変わりはなかったものの、サポーターの応援スタイルは極めてヨーロッパ的であったこと(チャントのリズムはギリシャ風、メロディーラインはアルゼンチン風、といえば理解できるだろうか)。そしてピッチ上で行われるプレーは、ボディコンタクトがやたら激しく、個々のインテンシティーも非常に高かったこと。とりわけ3つ目については、今後もし日本人選手がプレーすることになれば、高いハードルになるような気がする(逆にイスラエルを足掛かりに、さらに高いレベルのリーグに挑戦するという選択肢もあり得るだろう)。
パレスチナのナショナルスタジアムにて
ヨルダン川西岸地区にあるパレスチナ・サッカー協会。玄関では故・アラファト議長がお出迎え 【宇都宮徹壱】
幸い、パレスチナ・サッカー協会を表敬訪問する機会を得ることができた。協会の建物は、代表戦が開催されるファイサル・アルフセイニ・インターナショナル・スタジアムと隣接していて、4階建ての実に立派なもの。玄関を入ると、故・アラファトPLO議長の等身大の写真が出迎えてくれた。対応してくれた広報の女性は、美人で英語も流ちょうな人だったのだが、あまりサッカーに詳しくないらしい。私がW杯予選の話をすると「え、ウチってまだW杯予選に残っているの?」と同僚に確認していて、思わずこちらもずっこけてしまった。
気を取り直して、スタジアムも見学させてもらう。収容人員は1万2500人とかなり小さめで、ピッチは人工芝だった。パレスチナ代表はW杯2次予選を戦っているが、セキュリティーの問題を理由に1試合しか開催されていない(昨年9月8日の対UAE戦、0−0)。10月13日に予定されていたサウジアラビア戦は延期され(11月9日に中立地であるヨルダンのアンマンで代替開催)、11月12日のマレーシア戦もアンマンで行われている。
現在、パレスチナはグループ3位。2位UAEとの直接対決も残している。数字上では、彼らが最終予選に滑り込んで、日本と同組になる可能性は十分にあり得る話だ。もしそうなったら、ノービザで入国できる日本代表が、ここパレスチナでアウェー戦を戦うことになるかもしれない。その場合、テロの恐怖に怯えることはないだろうが、スタジアム周辺で目にするイスラエルが建設した分離壁に、誰もが暗澹(あんたん)とした気分を覚えることだろう。この壁について、イスラエル側は「パレスチナ側の自爆テロを防ぐために」と説明しているが、パレスチナ側は「不法なユダヤ人入植を正当化するもの」と強く反発している。
イスラエルとパレスチナのサッカー界は(いや、サッカーに限った話ではなく)、あまりにも政治と宗教と民族が前景化したまま今に至っている。この状況は、今後しばらくは続くことだろう。今回の取材は日程も取材範囲も限られていたため、その一端を目にするだけで帰国の途につくこととなった。もっとも、パスポートにイスラエルのスタンプを押されないことが分かったことが、実は一番の収穫だったのかもしれない。また機会を見つけて、かの国を訪れることにしたいと思う。