相撲を「楽しむ」境地に立った白鵬 “猫だまし”を狙った背景にあるもの

荒井太郎

勝つだけではない白鵬の相撲

物議を醸した10日目、栃煌山戦での猫だまし。もはや相撲を「楽しむ」境地に立ったのかもしれない 【写真は共同】

 横綱日馬富士の2年ぶりの復活優勝で幕を閉じた先の九州場所だが、優勝争いを引っ張ってきたのは、やはり横綱白鵬だった。

 秋場所は横綱昇進以降、初の休場。不安視する声もあった注目の序盤は、初日から栃ノ心、逸ノ城をそれぞれ危なげない盤石な相撲で退けて連勝発進。「全部が新鮮でした」と気持ちもリフレッシュして角界第一人者は帰ってきた。

 今年に入り初場所から5場所連続で15日間大入りが続くなど、相撲人気はかつての“若貴ブーム”に迫る勢いだったが、「満員御礼」は九州場所2日目でストップ。集客で苦戦した博多の地で白鵬はただ勝つだけでなく、さまざまな話題を提供しながら白星を積み重ねていった。

 7日目には隠岐の海に土俵際まで寄られるピンチに陥ったが、右上手をしっかり引きつけると自身の右膝で相手の左内股を跳ね上げながら逆転の投げ。幕内では6年ぶりとなる「やぐら投げ」の大技が豪快に決まった。柔道なら鮮やかな「一本」。隠岐の海は両足が宙を舞った状態で背中から土俵に叩きつけられた。

「(相手が)浮いてましたね。似たようなものがあったかもしれないけど、きれいなのは初めてかな。とっさでしたね」と取組後の白鵬は満足げに話した。さらに10日目の栃煌山戦では、意表を突く「猫だまし」を繰り出した。

 ところで、史上3位となる31回の優勝を誇った大横綱千代の富士(現・九重親方)は、相手の首根っこを右手で押さえながら、左からの強烈な上手投げで相手を裏返す“ウルフスペシャル”を最大の武器としていたが、その九重親方が以前、こんなことを言っていた。

「横綱になったら勝った相撲は新聞に載せてもらえないんだよ。年に10回ぐらいしか負けないのに、それが全部載るわけだから悔しい思いはあった。それなら勝っても載せてくれるような相撲を取ろうとなって、それで“ウルフスペシャル”が出来上がった感じかな」

理事長からの最後の苦言

 横綱は勝って当たり前。ただ勝つだけでは新聞紙面で大きくは扱われない。「楽しんでます」と白鵬は現役力士の中でただ1人、別次元のステージでプレッシャーにさらされることなく気の趣くままに相撲を取り、優勝した日馬富士よりも間違いなく衆目を引き寄せていた。

 立ち合いで相手の目の前で両手をパチンと叩き、敵が目をつぶった隙に自分有利な体勢に持ち込む「猫だまし」は通常、格下力士が上位に何とか勝とうとするときに使う、いわば奇襲だ。ある幕内力士は言う。

「稽古場でやることはあっても、本場所の大観衆の前でやる勇気は自分にはない。やった瞬間、相手に詰められたら残せない。何でもできるのが白鵬関のすごいところだと思います」

 通常は格下力士が上位に何とか勝とうとするときに使う戦法だ。横綱が下の者に使えば、礼節に欠くと見られかねない。おそらく猫だましをやった横綱は過去に例がないだろう。

 当の本人は「うまくいったかどうかは分からないけど、勝ちにつながった。まあ、うまくいったことにしましょう」とあっけにとられた観客をよそにご満悦。しかし、北の湖理事長は手厳しかった。

「前代未聞なんじゃないの。横綱がやるべき手ではない。あれで負けたら横綱の品格に引っかかる」

 くしくもこの3日後に昭和の大横綱北の湖は急逝した。理事長として現役最強横綱への最後のメッセージは苦言であった。

依然として大きく開く実力差

秋場所は途中休場したにもかかわらず9年連続の年間最多勝となった白鵬。来年もこの強さは続きそうだ 【写真は共同】

 今年は初場所で“大鵬超え”となる史上単独1位の33回目の優勝を果たした白鵬だったが、場所直後に取り直しにされた稀勢の里戦について「子供でも分かる相撲。なぜ、取り直しにしたのか」などと審判部を痛烈に批判したことで世間からバッシングを浴びた。
 翌春場所は15日間、報道陣に背を向けて“取材拒否”を貫いた。土俵外ではいろいろと物議を醸したが、大記録達成後も2回の優勝を重ね、今年の勝利数は66勝。9年連続9回目の年間最多勝も決め、依然、王者として君臨する。

 その間に同じモンゴルの後輩、照ノ富士が台頭。夏場所は関脇で初優勝。三役をわずか2場所で通過して場所後、大関に昇進した。大関2場所目の秋場所も圧倒的な強さで2度目の賜盃も間違いなしと思われたが、稀勢の里戦で右膝を負傷してからは大失速。間もなくと思われた“覇者交代”の日は、遠のいたと言わざるを得ない。

 今後もさしたるモチベーションがないまま、戦いを強いられる白鵬が「楽しみたい」という境地になるのも想像に難くない。それでも他の力士との実力差は依然、大きく開いたまま。来年も第一人者であり続けるだろう。
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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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