恩返し牝馬だ◎シングウィズジョイ 乗峯栄一の「競馬巴投げ!第105回」

乗峯栄一

数年前の天袋おばさん事件

[写真1]オークス馬・ミッキークイーン、秋初戦でどんな走りを見せるのか 【写真:乗峯栄一】

 いま、深津絵里なんかが中心になってやる生命保険CMで「鶴の恩返し」がある。恩返しをする鶴がフスマを開けるおじいさんに「開けるんじゃねえよ」と毒づき、鶴に生活保障保険の勧誘に来ていた深津絵里も、一緒になって「開けちゃうんだ、ふすま」と驚くというあのCMだ。

 あれについて文句がある。

 数年前、福岡の、自宅の天袋に見知らぬおばさんが数カ月住み込んでいたという事件があった。家の主は57歳の一人暮らしの男性で、自分のいない間に冷蔵庫の食料がなくなったりしているのを不審に思い、室内の人影に反応し映像を携帯に送信するセンサーを取り付ける。数日後、外出中に、室内をうろつく不審者の画像を受信して、家の主は警察に通報、駆けつけた警察官と自宅を調べる。

 玄関は施錠されており、外部から侵入の形跡はない。屋内もあちこち調べてみるが不審な者はいない。念のためと、普段あまり使っていない部屋の天袋を開けてみると、そこに女(58歳)が横たわっていた。

 天袋にはマットレスやペットボトルなど“生活用品”が持ち込まれていた。女は男性の生活パターンを把握していて、男性の外出時に冷蔵庫を漁っていた。“同居”は数カ月間に及んでいた。何の断りもなく自分の中に住み込んでいて、自分の知らない所で自分の栄養源を横取りして生きている、これはいわゆる“寄生虫”に当たる。

 何だか分からないが、ものを食べても体重が減るし、顔色もよくないというとき、昔は「お前、ムシ(寄生虫)でもいるんじゃないのか」と問うのが定番だった。

 ぼくらが子供の頃は、新年度になると検便というのが、まるで春の風物詩のように行われた。マッチ箱に大便詰めて、それに十文字にヒモを掛け、手にぶら下げて登校する。登校中や教室入りのとき気に入らないこと言うやつがいたら、それを振り回して追いかける。教室に入っても「先生、××くんの検便、臭いです。ウンコはみ出してると思います」などと大声を出すやつがいる。女の子はさすがにランドセルに入れて持ってくるから「先生、○○さんのランドセルからウンコが滲んでます」とありもしないことを訴える。

 とにかく検便日というのは異様に盛り上がる一日だった。

 検便結果は封筒に入れて渡され「お父さん、お母さんに見せて下さい」と言われるが、みんなその場で隣のやつの封を切る。「お、××はやっぱりカイチュウいるぞ、カイチュウくんや」と大声出され、可哀想にその子は泣く泣く帰ったりしていた。

 いまは学校検便というのはなくなったらしい。二十代のうちの息子に聞いても「検便? そんなのしたことない」と言っていた。“体の中にムシを飼う”ということ、“学校までみんなウンコを持ち寄る”ことという、あの二つの異様さに接する機会がいまの子供にはない訳だ。これは、ことによれば残念なことかもしれない。

 いや、いまは天袋のおばさんの話だ。おばさんは果たして寄生虫だったのか。

もし天袋に住んでいたのが仲間由紀恵だったらどうだ

[写真2]桜花賞馬・レッツゴードンキは得意の阪神中距離戦で反撃 【写真:乗峯栄一】

 JR目黒駅を西へ1キロほど行くと目黒通り沿いに「目黒寄生虫博物館」という建物がある。亀谷了(かめがいさとる)という医学者が建てた世界で一つの寄生虫の博物館らしい。

 日本ダービーというのは現在の府中競馬場が出来るまで、第1回(1932・昭和7)、第2回(1933・昭和8)は目黒競馬場で行われている。そして古地図を見ると、寄生虫博物館は、この目黒競馬場の第3コーナー、外れに当たっている(寄生虫博物館の方は戦後、目黒競馬場が取りつぶされて15年後ぐらいに建っているが)。

 そんなことで、ぼくは東上した折にこの博物館を訪ねた。ぼくが紹介したいのはその「寄生虫博物館物語」に出てくる亀谷了の寄生虫に対する見解だ。動物の生活システムを大別すると「自由生活」、「共生生活」、「寄生生活」の三つに分かれる。

 人間などに代表される自由生活者は自分で働き、自分で獲物を探し、自分で配偶者を見つける。

 共生生活というのは例えばヤドカリイソギンチャクとオニヤドカリだ。オニヤドカリはヤドカリイソギンチャクの鋭いトゲ(刺胞)に含まれる毒物によって外敵から守られ、ヤドカリイソギンチャクは殻の中に入ったオニヤドカリによって海中をどんどん移動できる。相互にギブアンドテイクして生活を高度化している。

 寄生生活というのは一方が他方にすべて寄りかかり、食も住もまかせきりにしてしまって何も宿主(しゅくしゅ・寄生する動物)にお返ししない生活の仕方を言う。

 共生と寄生の違いは、例えばコバンザメにしろカクレクマノミにしろオニヤドカリにしろ(いずれも共生動物)自分の力で移動しエサを得ることも出来るんだけど、ある特定の他種と一緒にいる方が自分にとって楽だから一緒に生きている(共生)ということになる。しかし寄生虫はほかの生物に宿ることによってのみ生存が可能で、その生物を離れては生きていくことが出来ない。

 この亀谷了は自由生活、共生生活、寄生生活を並立的に書く。教室の前で亀谷先生が「きみたちは将来どんな生活をしますか?」と聞き、「はーい、ぼくたち自由生活」という生徒に「なるほど」とうなずき、「わたしたちは共生生活」という生徒にも「そうか」と言い、「ぼくたちはカイチュウやサナダムシのように寄生生活やりまぁーす」と手を挙げる一群の生徒にも「へえ、きみたち寄生生活やるんだ、誰かの体の中に入ってね。ふーん、大変だけど頑張ってね」と先生がエールを送るという、そういうイメージだ。ここが凄い。

「寄生なんかしやがって、テメエ」と言うんじゃなくて、「そういう生き物なのか、なるほど」と言う。

 もう一つの亀谷了の卓見は「寄生虫は宿主が死ねば自分も死ぬ。そのことを寄生虫はよく知っている。だから基本的に寄生虫は宿主に迷惑をかけない。もし寄生虫が宿主に害を与えることがあるとすれば、それは本来寄生すべきでない動物に寄生虫が入ってしまった場合である」と言う。

 これだ。つまり福岡の58歳のおばちゃんの場合、図らずも、あえて言えばおばちゃんの意図と違って、宿主の57歳の男に迷惑をかけてしまった。せっかくマットレスとペットボトルを持ち込んで長期滞在を目論んだのに、一番大事な宿主を間違えてしまったということだ。

 しかし「宿主間違いの寄生」を「(了解済み)の共生」にまで変化させることは、人間の場合、案外簡単に出来る。

 自分の携帯に、わが台所の冷蔵庫のタクワンを漁る女が写った。「誰や、こいつ!」と慌てるのは当たり前だ。でも「ウン?」タクワンかじりながらカメラの方を振り返った女が、もし仲間由紀恵だったらどうだ。

「誰や、こいつ? うん? でもこいつ……、どこかで見たことがある、あ、仲間由紀恵やないか? 仲間由紀恵や、仲間由紀恵がうちの冷蔵庫のタクワン漁っている? どういうこと?」と、これはこれで新たな展開が始まる。

 警察に通報する前にとりあえず自分のうちの台所に帰って真相を確かめたくなる。

「もう由紀恵、おれの冷蔵庫のタクワンなんか漁って。え? もう三カ月も天袋に住み着いてたの? 由紀恵はほんとにしょうがないやつだなあ、もうこうしてやる!」

 とか何とか言って“見返り恩恵”をいただく可能性が高い。この恩恵をいただけば、仲間由紀恵は天袋で三カ月「寄生生活」をしていたのではなく、ヤドカリイソギンチャクとオニヤドカリのようにギブアンドテイクの単なる「共生生活」をしていたことになる。ここが微妙なところだ。

もう、イジワル!「恩返し鶴」のキーワードはこれ

[写真3]アンドリエッテはここが勝負駆けの気配 【写真:乗峯栄一】

「一見おばちゃんのように見えたけど、実はおばちゃんは鶴でした。天袋にはそのおばちゃんの鶴の織った世にも美しい織物が残されていたんです」というのはどうだ。

「そうか、寄生虫じゃなかったのか、鶴の恩返しだったのか、通報しなきゃよかった」と歯ぎしりするはずだ。

「寄生虫」と「鶴の恩返し」は紙一重の差だ。

 じいさんの助けた鶴が娘の姿になって恩返しに来る。「わたしにハタを織らせてください。でも織っているところだけは決して見ないでくださいね」と言って娘は部屋に籠もって美しい反物を織り、おかげでじいさんは大金持ちになる。

「糸もないのにどうやってハタ織ってんだ?」とじいさんに疑問が沸くのは当然だ。チョロッと覗いてみるかと思うのも、これまたごく自然な成り行きだ。「へえ、鶴の姿で自分の羽引っこ抜いて織ってたのか」とじいさんが驚くと、「見ましたね、あれだけ約束したのに」と捨てぜりふを吐き、娘は鶴の姿になって飛び去っていく。ほんとに恩返しする気があるのかと言いたい。

 じいさんが覗き見しているのが分かったら、「もうイジワル、見ないでって言ったのに」と恥ずかしそうに胸を覆い隠す。それが正しい“仲間由紀恵の恩返し鶴”というものだ。

 もう、イジワル!

「恩返し鶴」のキーワードはこれだ。じいさんが、たまらずふすまを開けたときが勝負なのだ。

「開けんじゃねーよ」などと言う恩返しのオの字も知らないような鶴は、その場でヤキトリにしてしまえ。

 仲間由紀恵鶴は決してそんなことは言わない。「わたし、羽が抜けてるんです、だから見ないでって言ったのに。イジワル!」と涙を流す。その羽で閉じた胸をじいさんが強引に押し開き「地肌もキレイだよ」と言う。仲間由紀恵の鶴は「嬉しい」と涙流しながらじいさんの胸にしな垂れかかる。これが恩返し鶴というものだ。

 そうするとつまり、今回の“福岡天袋事件”、一番重要な点は、寄生していたのが仲間由紀恵ではなく、58歳の薄汚い(たぶん)おばさんだったということにあることになる。もし天袋にいたのが仲間由紀恵だと“共生”(あるいは“同棲”と言ってもおじさんは積極的に肯定する)になり、薄汚いおばさんだと「“寄生”だ、ワシの食糧返せ」となる。もしそうだとしたら、これは不公平じゃないか。ぜひ一度、仲間由紀恵には、50代独身の男の家の天袋に隠れて生活してもらい、見つかったら「わたし、寄生でしょうか?」と涙を見せて聞いてみて欲しい。大概の男は「うんにゃ、わしらはむしろ結婚生活をしていたと言ってもいい」と首振るはずだから。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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