宝塚記念◎もう一度だけワンアンド=乗峯栄一の「競馬巴投げ!第100回」

乗峯栄一

ビワハヤヒデ引退式の翌日

[写真1]ゴールドシップと横山典が宝塚記念3連覇を狙う 【写真:乗峯栄一】

 これは今年の初めに当コーナーで書いたものと大体同じなのだが、まずここから始めたい。

 1995年1月16日に京都競馬場でビワハヤヒデの引退式があり、ハヤヒデファン仲間の打ち上げ会もあって、そのあとハヤヒデの濱田厩舎で長く勤めた小林常浩調教助手(現ライター)と矢作芳人調教助手(昨年全国リーディングとなった現調教師)が大阪豊中のうちに泊まり、「明日は厩舎全休日だから尼崎ボートに行くぞ。オーイ札束入れる袋用意してくれ」とかいつものように酒とカネ勘定に酔って寝ていた未明、激震に飛び上がる。

 ぼくももちろん目が覚めたし、隣の部屋で寝ていた小林、矢作両氏もモゾモゾと這いだして来て「テレビつけてみ」などと言う。

 情報は混乱していた。NHK臨時ニュースでも大阪が震度4で、京都、滋賀が震度5などと出ている。「こりゃ震源は滋賀か、トレセンやばいのか」などと話して電話してみると(この時点では電話はけっこう通じた)栗東近辺はそれほどでもないということだ。

「震源はどこや?」などと話しているうちに「神戸震度6」という表示が出る。「神戸震度6? いくら何でも間違いやろ。でもアクシデントということもあるかもしれんから、尼崎ボートには早めに出発した方がええぞ。地震のあとは波が高いから、やっぱりインが有利か?」などと言い合っていたが、そのうち神戸近辺の映像が出始める。

「尼崎競艇のスタンドが倒壊しています」などと言われる。「うん? スタンドが倒壊? ならボートは中止か?」などと、まだ呑気なことを言っていると「JR六甲道駅がつぶれてます」と大声のレポートも入る。

「え! JR六甲道駅? 姉の旦那の勤めてる駅や。駅は24時間勤務らしいから、これはえらいコッチャ、ボートやめとこか? 待ち合わせしてる伊丹のマッちゃん(近所の競馬好きのそば屋店主)に電話するわ」と受話器を取るが、もうそのころには電話はどこにもつながらなくなっていた。そこへ「阪急伊丹駅もつぶれてます」とレポートが入る。「え、マッちゃんの家、駅のすぐ横や」などと言い、だんだんみんな声がなくなり、赤線引きまくった尼崎ボートの新聞をそっとフトンの下に押し込んだ。(幸い、姉一家も友人マッちゃんも無事だったが)

 この年の12月まで阪神競馬場は損傷箇所の修理に入って閉鎖され、桜花賞(ワンダーパヒューム優勝)も宝塚記念(ダンツシアトル優勝)も京都競馬場で代替開催された。

34代舒明も、36代孝徳も「有間温泉大好き」

[写真2]ワンアンドオンリーとデムーロ、ダービー馬の力量はあなどった頃に蘇る 【写真:乗峯栄一】

 ここで唐突に話は変わるが、「日本三大古湯」と言われるのは、有間(現在の“有馬”・兵庫県)温泉、道後温泉(愛媛県)、白浜温泉(和歌山県)と言われる。「日本書紀」にその名前が見えるからだ。そのなかでも最初に名前が見えるのは有間温泉である。

 第34代舒明(じょめい)天皇(在位629〜641年)は二度、有間温泉に行幸している。

 舒明天皇は病弱で、在位12年で病没することになり、舒明の皇后・皇極(こうぎょく)天皇が即位したが、乙巳(いっし)の変(645年)で蘇我氏が中大兄皇子に殺害され、そのまま中大兄皇子が即位するのも不謹慎と思ったのかどうか(このへんの事情、力関係はさっぱり分からない)皇極天皇の弟・孝徳天皇(第36代・在位645〜654年)が即位する。しかしこの孝徳天皇も中大兄皇子の反乱によって654年、廃位される(そんなんだったら、中大兄も、はじめから孝徳を即位させるなよ、何だかさっぱり分からん)。

 分かることは、34代舒明も、その義理の弟にあたる36代孝徳も「有間温泉大好き」だったということだ。

 そのころの天皇の温泉旅というのは「2泊3日で」とかいう、生やさしいものではない。舒明天皇の最初の“有間湯治”については、

 ・(631年)秋9月19日、摂津国の有間の湯へ行幸された。
 ・冬12月13日、天皇が有間から帰られた。

 という、その二行があるだけだ。ほぼ3カ月間の湯治である。いまで言う天皇と総理大臣がそろって3カ月間、山の中の温泉にこもっているのだ。電話もないし、いったい政治はどうなっていたのか。

 しかも日本書紀によれば、この間、奈良明日香の岡本宮(おかもとのみや)では火災があり、各地で旱魃(かんばつ)が起こり、落雷はあり、長雨もあり、日蝕(当時としては大凶事)もあったという。「緊急事態発生の様子だから都に帰る」という気は起こらなかったのか。

 孝徳天皇の場合もだいたい同じである。

 ・(647年)冬10月11日、天皇は有間の湯においでになった。
 ・12月の晦(つごもり)、天皇は湯から帰られて、武庫の行宮(あんぐう・かりみや)に留まられた。

 という、この2行だけである。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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