カシージャスとメッシを追いつめたもの 理不尽な批判と失って気付くその偉大さ

メッシに向けられる懐疑の眼差し

またも優勝に手が届かなかったメッシには、一部の国民から懐疑の眼差しが向けられている 【写真:ロイター/アフロ】

 メッシが置かれている状況はカシージャスのそれ以上に複雑なものだ。これまで常に代表の招集に応じ、28歳にして同国歴代2位の46ゴールを積み重ね、(※1位はガブリエル・バティストゥータの56ゴール)、昨年のW杯と今年のコパ・アメリカで共に決勝進出を果たし、母国をFIFAランキング首位(7月9日発表の最新のもの)に導いた今になっても、いまだに彼は少なくない国民から懐疑の眼差しを向けられているのだ。

 アルゼンチンの国民とメッシの関係は、「ある父親が自分の子どもであると判明した成人男性とゼロから親子の関係を築いていくようなものだ」と誰かが言っていた。他の代表のチームメートとは違い、若くしてバルセロナへと移籍したメッシは母国のプロリーグでプレーした経験がないため、アルゼンチンの国民としては自国の選手という愛情を抱きにくい存在だからだ。

 アルゼンチン代表において、メッシがバルセロナと同様のプレーをすることは実質的に不可能である。日々のトレーニングにおいて何年もかけて1つのシステムとプレースタイルを構築してきたバルセロナとは違い、代表ではトレーニングに割ける時間が限られているだけでなく、アルフィオ・バシーレ(06〜08年)、ディエゴ・マラドーナ(08〜10年)、セルヒオ・バティスタ(10〜11年)、アレハンドロ・サベーラ(11〜14年)、そして現在のヘラルド・マルティーノと、監督が変わるたびに目指すフットボールも変わってきた。

コパ・アメリカ準優勝はメッシの責任ではない

メッシは監督が変わるたび、チームに適応しようと試みてきた 【写真:ロイター/アフロ】

 例えばサベーラの指揮下では、対戦相手が犯すミスを生かしてスピーディーにカウンターを仕掛けるスタイルで戦っていた。それがマルティーノに代わって以降は、主力選手がほとんど同じであるにもかかわらず、ボールポゼッションをベースとするスタイルに変わっている。ゴンサロ・イグアインが先発を外れ、中盤にハビエル・パストーレを加えた4−3−3が基本システムとして定着したのもそのためだ。

 こうした方向性の転換が繰り返される中、メッシは可能な限りチームに適応しようと試みてきた。しかし、チームの戦術を決めるのは彼の仕事ではない。パラグアイに6−1と大勝した準決勝から一転し、スコアレスのままPK戦で敗れた(1−4)チリとの決勝では攻撃陣が完全に抑え込まれてしまったのも、彼の責任ではないのだ。

 チリとの決勝後にホテルへ戻る道中、「アルゼンチンの選手たちは泣き崩れるメッシにどんな言葉をかければ良いか分からなかった」と後にルーカス・ビグリアは明かしている。またメッシは同決勝の前半終了時、スタンドにいたはずの家族が消えていたことにひどく動揺していたという。彼らは周囲のチリファンに暴力を振るわれたため、前半途中に席を移動しなければならなかったのだ。

 こうした情報が知れ渡った今もなお、多くの人々が「メッシは母国のために全力を尽くしていない」と考えている。

 カシージャスを失って初めて彼の功績を再認識し始めたマドリディスタたちと同じく、アルゼンチンの国民もメッシが人々の不理解に辟易し、一時的とはいえ代表を離れると決意した時になって初めて、彼の重要性に気付くことになるのだろう。

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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