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平泳ぎのエース小関が狙う「世界新で金」
自由形から転向した経緯と覚醒の理由
水泳の世界選手権に出場する小関也朱篤に自身の競泳人生を振り返ってもらった
水泳の世界選手権に出場する小関也朱篤に自身の競泳人生を振り返ってもらった【スポーツナビ】

 この夏、ロシア・カザンで行われる水泳の世界選手権(競泳は8月2日〜9日開催)で世界の頂点を目指す日本の大型スイマーがいる。男子平泳ぎの小関也朱篤(こせき・やすひろ/ミキハウス)、23歳。身長188センチと日本選手の中では大柄な体格を生かし、2014年のパンパシフィック選手権で100と200メートルの2冠に輝き、国際舞台でブレークした。


「ポスト北島」に名乗りを上げた小関は、15年に入っても好調をキープ。4月の日本選手権200メートルで2分7秒77を記録し、同種目の世界ランキング1位に躍進すると、6月の欧州グランプリでも100メートルを大会新で優勝。本人も「世界新記録での金メダルが目標」と自信をみせる通り、平泳ぎの「新世代エース」として、世界選手権での活躍が期待されている。


 世界選手権の平泳ぎで頂点を目指す小関だが、実はキャリアのほとんどを自由形の選手として過ごしてきた。平泳ぎに本格的に転向したのは13年の大学3年の時。それまでトップ選手としては目立った成績を挙げられず、もがき苦しんでいたころだった。


 突然、覚醒したかのように見える小関の才能。大きな野望の裏にあった足跡を本人が語った。

人生を大きく変えた木村コーチとの出会い

――水泳を始めたのはいつからですか?


 物心が付いた頃です。4歳ぐらいから習い事の一つとして始めました。両親の薦めで、気付いたときにはもう泳いでいたという感じですね。僕の出身が山形県鶴岡市で、当時鶴岡市は水泳が盛んな地域だったんです。その影響もあって、鶴岡スイミングクラブ(SC)に入りました。


――鶴岡SCの思い出は?


 最初はただ週に2回プールに行って泳いでいました。テストがあって、それをクリアすると賞状がもらえる。それを目標にやっていました。選手になりたいと思ったのは、僕の同級生が選手になって大会で活躍しているのを聞いたからです。辞めたいと思ったことはなかったですね。コースを変えて中2ぐらいから選手コースで練習を始めました。


――大学まではどこでトレーニングを続けたのですか?


 鶴岡SCです。高校に入ってコーチが変わったんです。そこで木村(憲)コーチに出会いました。事情があってその木村コーチが高校2年の冬ぐらいにクラブを辞めてしまった。僕はどうしても木村コーチのもとで泳ぎたかったので、僕もクラブを辞めてコーチとマンツーマンで市営のプールを借りて泳いでいました。


――それはいつまでですか?


 高校2年で辞めて3年の国体ぐらいまでですかね。小さい子どもが泳ぐようなプールで泳いでいました。隣に流れるプールがありましたし、後ろにはジャグジーがありました。ウオータースライダーもありましたね。集中して練習できる場所はほとんどないです。練習中も小さい子がコースに入ってきてしまって、中止なんていうのもしょっちゅうでした。


――それでも木村コーチに師事したのはなぜですか?


 ただひたすら厳しかったからですかね。アメとムチじゃないですけれど、ムチの比率がかなり高かったのが自分には良かったんです。変にハングリー精神があったというか、その時は木村コーチの元でやれば間違いないと思い込んでいました。


 中学時代はほぼ自由形を泳いでいましたね。高校も自由形ばかりでしたけれど、インターハイで3位に入ったのは平泳ぎでした。(平泳ぎに出場したのは)木村コーチのすすめです。平泳ぎのタイムが意外と良くて、それで泳いでみたら3位になれました。

自由形のトレーニングが平泳ぎの力に

平泳ぎに転向したのは大学3年の時。自由形の練習が腕の力などの強化につながった
平泳ぎに転向したのは大学3年の時。自由形の練習が腕の力などの強化につながった【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――日本体育大学に進学後は藤森善弘コーチに師事しています。記憶に残っている当時のエピソードはありますか?


 今はだいぶ減りましたけれど、1、2年時はダメ出しが多くて、「直すところが多いね」と言われていたのは覚えています。


――辞めたいと思ったことはないですか?


 大学の1、2年時はタイムも出ず、練習をしても全然ダメだったので、その時はそう思いました。「これだけやった」と思えるくらい練習したのに、本番のレースに出ても全然遅いんですよね。ベストも出なければ、そこから何秒も遅れることが頻繁にあったので。


――そこで辞めずに踏みとどまれた要因は何ですか?


 水泳に対して諦め切れない気持ちがどこかにありました。これから先、記録を出して、活躍する姿が自分の中でイメージできていました。そのイメージを実現したかったから、辞めたいんだけれど、それでも全力でやっていました。


――浮上のきっかけは何だったんでしょうか?


 大学3年のときも自由形で大会に出ていたんですけれど、その頃から平泳ぎにも出始めたんです。そうしたら平泳ぎのタイムがだいぶ伸びていて、平泳ぎがどんどん調子よくなっていった。そしてそのまま今に至る感じです。


――平泳ぎは以前から泳いでいたんですよね? なぜそのタイミングで記録が伸びたと思いますか?


(自由形と平泳ぎを)8対2ぐらいで泳いでいました。それでもその時に平泳ぎが伸びたんです。藤森コーチいわく、僕は平泳ぎで使う腕の力がなくて、それを自由形で補ったのではないかと。自由形を泳いでいたんですけれど、それが平泳ぎのための強化になったという感じでしょうか。自由形を泳ぐことで心肺機能がより強化されたのは間違いないですし、自由形が4泳法の基本になっているからかなと。そういう話はコーチと話していました。

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