車いすラグビー、メダル獲得への現在地 パラ出場懸かる10月の豪州戦が試金石

瀬長あすか

最もメダルに近い団体競技・車いすラグビー

リオデジャネイロパラリンピックでメダル獲得を狙うウィルチェアーラグビー。エース池崎(写真)を中心に、トップ3の牙城を崩す 【スポーツナビ】

 1年後に迫るリオデジャネイロパラリンピックで、最もメダルに近い団体競技。それがウィルチェアー(車いす)ラグビーだ。

 夏季パラリンピックの正式競技であるウィルチェアーラグビーは、四肢まひ者などのために考案された、カナダ生まれの屋内競技だ。車いすごとぶつかるタックルが認められており、その激しさから、“MURDER BALL”(殺人ボール)と呼ばれるほど。コートでプレーする選手は4人。それぞれの障害レベルにより0.5〜3.5点の持ち点が与えられ、障害が軽い選手ほど持ち点が高い。4人の選手の合計が8点を超えてはならないルールがある(編集注:女性選手1人が入る場合、0.5点の追加ポイントが加わり合計8点以上も許可される。最大10点まで)。選手たちは、頑丈な競技用車いすを巧みに操作してゴールを狙う。ボールは丸い専用球を使用するが、ぶつかり合う、助け合う。その精神がまさにラグビーそのものなのである。

(映像提供:日本障がい者スポーツ協会、制作:エックスワン)
 1996年に競技を始め、2004年のアテネパラリンピック(8位)に初出場を果たした日本は、10年の世界選手権(カナダ)で初めて銅メダルを獲得してから、メダルゲームの常連になり、12年ロンドンパラリンピックでは4位入賞。14年は世界選手権(デンマーク)4位、アジアパラ競技大会(韓国)1位という結果を残し、パラリンピックのメダルが見える世界ランキング4位に定着した。

外国人コーチの招へいでチーム力アップ

 日本代表がまだ手にしていない、パラリンピックのメダル。その獲得に向けて、日本は、ロンドンパラリンピック後に、ウィルチェアーラグビーの母国であるカナダからアダム・フロスト氏をコーチとして招へいし、この競技の基礎をイチから学んだ。月1回の強化合宿で連携プレーをひたすら反復練習し、さまざまなシチュエーションを想定した動きを体に覚え込ませていった。さらに車いすバスケットボールでリオを目指していた池透暢ら、パラリンピックを目指す新戦力が加わったことで、ライン(コート上の4人の組み合わせ)のバリエーションも増加。現在は、選手としてパラリンピックに3大会出場した荻野晃一ヘッドコーチ(HC)が指揮を執り、それぞれのラインのブラッシュアップを図っている。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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