長谷川穂積が再起戦で見せた勇気と覚悟=元2階級制覇王者の最終章の行方は!?

城島充

約1年ぶりの再起戦で無敗の世界ランカーに判定勝利した長谷川穂積 【写真は共同】

 ボクサーの存在証明は、ベルトの有無だけではない。この夜、強打を誇る無敗の世界ランカーを相手に約1年ぶりの再起戦を勝利(判定3−0:97―93、98―93、100―91)で飾った長谷川穂積は、そのことを10ラウンドの攻防を通じて証明した。「今後のことはちょっと考えて……。しばらくはこの恐怖心から脱出したい」。試合後にそんな心境を口にした勝者はこのあと、自らの最終章にどんな決断を下すのだろう。

あえて危険な相手を選んだ再起戦

より強いメンタルを求められる相手として選んだのは、29戦全勝(21KO)でWBC世界スーパーバンタム級9位オラシオ・ガルシアだった 【写真は共同】

 どんな名王者にも、落日は訪れる。昨年4月、IBF世界スーパーバンタム級戦でキコ・マルティネス(スペイン)に7回TKOで敗れたとき、かつて2階級を制覇し、日本ボクシング界を支え続けた長谷川にも、そのときがやってきたことを多くのファンは痛切な思いで受け止めたのではないか。ここ数戦で被弾が増え、打たれもろくなった印象を拭えないヒーローの肉体を心配する声は、本人の耳にも届いていたはずだ。

 だが、8カ月にも及ぶ熟考の末、長谷川が出した結論は「現役続行」だった。肉体的な衰えを懸念する声に反発することは、裏返せば結果がでなかった原因をメンタルに求めていくことでもある。マルチネス戦の敗因をリングに上がったときの気持ちと重ねた長谷川は、再起戦でより強いメンタルを求められる相手を選んだ。

 それが29戦全勝(21KO)、WBC世界スーパーバンタム級9位のオラシオ・ガルシア(メキシコ)である。ガードの上から叩きつけたパンチで相手の手首を骨折させたという逸話を持つ24歳のハードパンチャーは、長谷川の覚悟とともに、その物語の終幕を強く予感させる相手だった。

右足首の負傷を乗り越えた気迫

試合前に負傷した右足首の腱が断裂していながらも、拳を当てられる角度とタイミングを見つけ、躊躇なく打ち込んでいった 【写真は共同】

 この日、会場の神戸市中央体育館にかけつけた観客がヒーローの背中に伝えた声援は、かつてのそれとは明らかに違った。
「打ち合うな、足を使って回れ」
「ロープにつまるな、動け」
 観客の脳裏には、1年前の衝撃的なKO負けのシーンが焼き付いている。この日の試合を特別な思いをもって見つめた人も少なくなかったはずである。これが長谷川穂積の最後の試合になる。できるなら、最小限のダメージでリングを降りて欲しい……と。

 だが、この日の長谷川は疲れが見え始めた中盤以降も足を止め、打ち合うシーンを作っていく。試合後、長谷川は試合前に負傷した右足の状態が深刻で、腱が断裂していたことを明らかにした。実際、パンチの回転では勝っているが、踏み込みが浅く、持ち味のきれいなワンツーが打てない。左ボディは効果的だったが、上へのパンチはまっすぐな軌道を描かず、かぶせるような形になってしまう。

 そんな状態でも、34歳の元2階級制覇王者は拳を当てられる角度とタイミングを見つけ、躊躇なく打ち込んでいったのだ。とりわけ、最終ラウンドのラッシュは、長谷川のボクサーとしての矜恃を体現しているかのようだった。大歓声のなかでまとめたコンビネーションのなかには、かつてウィラポン(ナコンルアンプロモーション)攻略のために磨いたフックから拳の軌道を変えて突き上げる左アッパーもあった。

偉大な先人たちとは違う足跡

足をケガしながらも世界ランカーに大差判定勝ちをし、「自信にもなった」と振り返った 【写真は共同】

「勝てる相手だとは思っていなかった」
「試合前は、倒される夢ばかり見た」
 控え室で試合前の心境を振り返った長谷川は、右足首の負傷について「ケガも実力のうちですから。この足の状態でどこまでできるかだけを考えてきた。逆にこんなケガをしてもこれだけの試合をして勝てたのだから、自信にもなった」と言及した。
 今後については言葉を濁したが、さまざまな見方ができる再起戦だった。

 無敗の世界ランカーに大差の判定勝利を収めたことで、『全盛期に近い動き』『再び世界へ扉開かれた』などと報じたメディアもあるが、筆者の思いは少し違う。

 これまでのキャリアで長期防衛とKO負けからの2階級制覇と、2つのサクセスストーリーを紡いできた長谷川はこの夜、3つめの物語を完成させた。真正ジムの山下正人会長が「左足一本で戦ってたみたいなもん。勝って初めて泣いた」と賛辞を惜しまなかったように、偉大な先人たちとはひと味もふた味も違う足跡をしっかりと日本のボクシング史に刻みつけたはずである。

この試合が最後も選択肢の一つだが…

長谷川は全盛期とは明らかに違う肉体を恐怖心と向き合いながら、想像を絶する勇気と覚悟で動かし続けた。今後については言葉を濁したが… 【写真は共同】

 誤解をおそれずにいえば、この最終章の物語が胸をうつのは、全盛期とは明らかに違う肉体を「ボクサーとしては高齢者」と自虐的に言う男が恐怖心と向き合いながら、想像を絶する勇気と覚悟で動かし続けたからである。右足首の負傷は確かに大きかったが、それでも全盛期の長谷川のステップインの速さや左右の拳の切れを瞼に焼き付けている筆者は、この日の動きをフィジカル面で全盛期と比較することはできない。

 長谷川は会見を終えると、報道陣に「ノンタイトルやのに、こんなに集まってもらってありがとうございます」と頭をさげた。無名時代も王者時代も、そして王座を失ってからも、長谷川は常に謙虚でそのときどきの心情を素直な言葉で説明してくれる。

 この試合を最後にするのも、選択肢の一つではないか。これだけの物語をリングに紡いだボクサーはいないのだから……。そんな勝手な思いを伝えたら、ヒーローからどんな言葉が返ってくるのだろう。
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著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

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