【サンフレッチェ広島】“戻ってきた”漢が熱い!山﨑大地、2度目となる前十字靱帯断裂からの復帰を支えた愛情。
例えばGKは谷晃生(町田)や鈴木彩艶(パルマ)、DFには菅原由勢(サウサンプトン)、そしてFWには久保建英(レアル・ソシエダ)や宮代大聖(神戸)、中村敬斗(スタッド・ドゥ・ランス)。日本代表として活躍したり、Jリーグの優勝に貢献するなどのプレーを見せ付けたり。その名前を天下に轟かせている選手がキラ星のごとく、いる。
このチームのリストに「山﨑大地」という名前があった。広島で生まれ、サンフレッチェ広島の育成組織で育ったCBである。大会の結果は1試合出場に終わったが、彼がこの世代のトップランナーであることを証明した代表選出だったと言える。
だが実はその前年、15歳の春に彼は左膝前十字靱帯を断裂。ほぼ1年間、ずっとリハビリ生活を送っていた。そこから彼は一気に成長を果たし、世界の舞台に参戦する資格を得た。山﨑大地という若者が持っている才能の大きさは、この事実だけでも理解できる。
広島ユース卒業時、彼のトップ昇格は叶わなかった。その悔しさをバネにして、順天堂大で実績を残す。そして2023年、「大学ナンバーワンDF」と足立修サンフレッチェ広島強化部長(当時)が高く評価し、山﨑が憧れ続けた地元クラブへの帰還が決まった。
なのに、神様は若者に試練を準備する。
2024年3月5日、安芸高田市サッカー公園。山﨑大地の右膝前十字靱帯は、断裂した。接触プレーで起きた不運な事故。彼の右膝は「ボキボキボキッ」という不気味な音を発した。それは8年前、左膝が発した音とほぼ同じ、いや「高校の時よりも、えぐい音がした」と山﨑は語る。
強烈な痛み。力が入らなくなった右膝。立ち上がれなくなり、スタッフが彼を抱えて、医務室に連れていく。その時、彼は直感的に感じた。
「前十字だ。俺の2024年は、終わった」
緊急搬送された病院での検査で、その直感が正しかったことは、証明された。証明されたくは、なかったのに。
真っ先に脳裏をよぎったのは、自分の親の姿だった。
山﨑の両親は、「プロになりたい」という息子の夢を、ずっと共に追いかけていた。試合となれば駆け付け、息子を励まし、力を注ぎ続けた。
「俺の怪我のことを知ったら、どれほどガッカリさせてしまうか」
話せない。だが、話さないといけない。
その日、勇気を出して若者は自身の怪我を報告する。
「ごめんな。今年、いい姿を見せられなくなった。本当にごめん」
息子の「謝罪」に対し、父は答えた。
「俺たちは、大地のおかげでな、たくさんのいい経験をさせてもらっているんだ。いい思い出も、お前のおかげでできた。謝る必要なんてない。もうパリ五輪もないし、目指すのはA代表じゃね。膝を治して復帰して、サンフレッチェで活躍することじゃね」
母親も同意見。二人の愛情にうたれた息子は、決意した。
「怪我のことで落ち込むのは、ここまでだ。明日からはいつも通り、明るい山﨑大地でいよう。自分が沈んでいたら、チームの雰囲気も重くなる」
3月12日に手術が行われ、全治は9〜10ヶ月。2024シーズン、復帰は絶望。同期であり、普段からいつも一緒にいる中野就斗は「今季、僕はタイチの想いを背負って戦う」と口にした。誰もが、山﨑の悔しさを理解していたし、それでも笑顔でいる彼の強さを尊敬した。
手術から半月後の3月30日、G大阪戦の試合前に車椅子姿で登場。まだ退院していないにも関わらず、スタジアムに顔を出してチームとサポーターを励ました。退院後は練習場でファンサービスを展開する。笑顔でサポーターと接する彼の周りには、自然と笑い声が起きた。
「僕が試合に出ないってわかっていても、自分の番号である3番のユニフォームを着てスタジアムに来てくれる人がいる。そういう人たちを安心させたい、顔を見せて元気だよって言いたかった」と山﨑は言う。
「でも、逆にパワーをもらえましたね。待ってるぜ、とか言ってくれる人もいた。本当に嬉しかった。またピッチに戻ってくるんだって、思えましたね」
2025年1月12日、トルコキャンプがスタート。このキャンプで山﨑大地は段階的に、チーム練習に復帰した。ボール回しのトレーニングからポゼッション。強度と俊敏性、そして急停止や急転回といった膝に負担がかかる練習もこなしつつ、1月14日にはフリーマンながら紅白戦にも出場した。
このままいけば、トルコキャンプのトレーニングマッチで実戦復帰もありえるのでは。だが、若者は慎重だった。
「ここから気持ちも乗ってきて焦っちゃうと思うんで、うまく気持ちを抑えてやっていきたい。足の状態はちょっと気になる部分はありますけど、そんなに悪くはないです」
昨年は取材にも笑顔を振りまいていたが、今年に入ってからは静かなトーンに変わった。
「まだ練習をしっかりとやれていない。バチンと接触しやすいところには行かないようにしているんです。そういうところで(再発などを)やっちゃう時はやっちゃうのでね。(復帰に向けて)ちょっとずつ、ちょっとずつ」
結局、トルコキャンプで練習試合に入ることはなかった。1つ1つの段階を踏み、確実なステップを踏むことがこの怪我のリハビリには求められる。上村健一や佐々木翔は、慎重なリハビリを行っていても再発した。膝が動くようになってきたからこそ、逸ってはいけない。
1月30日、フリーマンではなく、他の選手と同じようにチームに入り、紅白戦を行った。
「楽しかった。でも、まだ怖さはある」
慎重さは崩さない中でも、視線が少しずつ、闘う男の鋭さを伴ってきた。
「彼の技術の高さや1対1の強さを見て、懐かしい思いになったね。長い間、彼はチームにいなかったから、それは本当に残念だったけれど」とスキッベ監督は笑顔。ただ、パフォーマンスについては「まだまだ。もっと成長しないといけない」と厳しい口調で言葉を発した。もう闘えると判断したからこそ、やってもらわないと困ると確信しているからこそ、指揮官は語る。「復帰で満足するな」というメッセージを込めて。
山﨑大地も、浮かれてなどいない。
「試合をやってみて『やれた』というよりも『まだ、これだけしかできないのか』という思いが強かった。正直、焦りも感じています。ただ、10ヶ月も休んでいれば、こんなものかもしれないですね。それくらいラフに考えた方が、いいのかもしれない」
それでもミヒャエル・スキッベ監督は2月8日の「FUJIFILM SUPER CUP 2025」で、彼をベンチに入れた。長いリハビリを頑張ってきたことへのブレゼントか、それとも「ここからの連戦は頼りにしている」という意味なのか。おそらくは、両方の意味だろう。
国立競技場のミックスゾーンを通る山﨑大地に、「ベンチ入り、よかったね」と声をかけた。
「はい。ここからです」
昨年2月23日以来、350日ぶりとなる闘いの場に復帰した漢は既に、未来に向けて歩み始めている。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ