あっけなく訪れたアギーレとの別れ 注視したい今後のJFAの体制と後任人事

宇都宮徹壱

ファルカン以来の短命政権に終わる

契約解除が発表されたアギーレ監督。約半年の短命政権に終わった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 代表監督との別れは、いつも突然訪れる。

 ワールドカップ(W杯)出場を果たした監督でも、本大会での敗退が決まれば、基本的にそこで終わり。それほど日を経ずに退任会見が行われる。ジーコ監督のときも(2006年ドイツ大会)、岡田武史監督のときも(10年南アフリカ大会)、日本で行われた最後の会見はW杯を取材中だったため立ち会えなかった。前任のアルベルト・ザッケローニ監督は、ブラジル大会のキャンプ地であるイトゥで日本のファンに別れの言葉を述べているが、あまりにも急な話だったので現地に赴くことを断念せざるを得なかった。

 3日、ハビエル・アギーレ監督の解任が正式に発表された。JFA(日本サッカー協会)の大仁邦彌会長は「契約を解除した」という表現にこだわっていたが、事実上の解任と言って差し支えないだろう。正直なところ、このタイミングでの解任は予期していなかった。というのも、先のアジアカップで日本が準々決勝でUAEに敗れた直後、大仁会長はメディアに対して「アギーレ続投」を明言していたからだ。だから今回、急きょ決まった会見でも(リリースがあったのが当日の15時すぎで、会見が行われたのは17時)、まさかそこで解任が発表されるとは想定していなかった。

 そもそもアギーレ体制が、これほど短命に終わることを予想した人も、それほど多くはなかったと思う。病で倒れたイビチャ・オシム監督は、06年8月9日から07年10月17日まで20試合。岡田監督(第一次)は、1997年10月11日から98年6月26日まで17試合。パウロ・ロベルト・ファルカン監督は、94年5月22日から10月11日まで9試合。そしてアギーレ監督は、14年9月5日から15年1月23日まで10試合。21年前に解任された、ファルカン以来の短命政権であった。

 思えばUAE戦後の会見で、指揮官は「今日のゲームで勝利に値するのはわれわれだった。そういった内容を見せることができたと思うので、上を向いてこれからも続けていきたい」と語っていた。おそらくこの時は、自身の解任など想像することなく、今後の日本代表の強化についてあれこれイメージを膨らませていたことだろう。大仁会長によれば、契約解除を電話で直接伝えた際、当人は「やむを得ない。分かりました」と答えたそうだが、果たしてその時にどんな想いが去来したのだろうか。いずれにせよアギーレは、日本のファンに最後の言葉を告げることなく、あっけなく去っていってしまった。

謎が残る「続投」から「契約解除」までの経緯

会見で大仁会長は契約解除の理由を「W杯アジア予選への影響を考慮した」と説明 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 ここで、今回の「契約解除」を選択したJFAの決断について考えてみたい。大仁会長が会見で語ったことで、注目すべきポイントを箇条書きにすると、以下のようになる。

(1)アギーレ監督の手腕はJFAとしても高く評価しているし、今後も引き続き指揮を執ってほしいと考えていた。
(2)ただし昨夜(2日)に検察の告発が受理されたという事実が確認されたことにより、6月から始まるW杯アジア予選への影響を考慮して契約解除を決断した。
(3)決断にあたっては「監督の指導力とは関係ないケース」(大仁会長)なので、霜田正浩技術委員長と相談することはなかった。

 大仁会長の発言を額面通り受け取るならば、少なくとも今回の決断に「アジアカップでの結果(ベスト8敗退)は、ほとんど影響していないようだ。おそらくJFAとしても、今回の八百長疑惑の告発が受理され、起訴とならない限りにおいては、このままアギーレで行こうという判断があったものと思われる(だからこそ「アギーレ続投」を明言したのだろう)。ただし、一方で「なぜ、このタイミングでの解任なのか」という疑念は残る。告発の受理が確認されたのが「昨夜(2日)」だったという説明は、一応つじつまは合う。だが、同席した三好豊法務委員長は、実際に受理された日について「先週金曜日、1月30日とわれわれは聞いています」と発言していた。果たしてJFAが受理を把握したのは、本当に会見前日の2日だったのだろうか。

 アジアカップ決勝が行われた1月31日、アギーレ招へいで重要な役割を果たした原博実専務理事が、NHKの『サタデースポーツ』に出演している。私はオーストラリアから帰国したあとに録画映像で視聴したのだが、同じくゲスト出演していたジャーナリストの木村元彦氏から「(アギーレの)解任もあり得るのか?」と問われたとき、原専務理事の回答が極めて歯切れが悪かったのが気になった。当人いわく「(現時点で)告発が受理されたということは、確認できていない。受理されたら、できるだけ早く協会の方針を発表できるように準備しています」──。文字にすると普通だが、映像を見る限り、いつもの明快な「ヒロミ節」から程遠い、ある種の虚勢のようなものが表情から読み取れた。実はわれわれのあずかり知らぬところで、表にできない事情もあったのではないかと勘ぐりたくもなる。

 仮にJFAが、告発受理の事実を30日の時点で把握していたとしたら、31日から2日までの間にJFA内部で(あるいは代理店やスポンサーを巻き込んだ)何かしらの攻防があった可能性も否定できないのではないか。もちろんこれは憶測でしかないし、大仁会長が当初から「告発受理」を重視していたというのもおそらく事実なのだろう。しかし前述のとおり、会長はすでに「続投」を明言していたわけで、それがたった半日ほどで「契約解除」に舵を切ったことについては、個人的にどうにも引っかかるところではある。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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