つくばロボッツの未来と可能性 山谷拓志から見た日本バスケ界<後編>
「今ははっきり言ってディフェンス一辺倒」
現状ではスタッフが少ないため、ホームゲーム開催時は試合会場の設営と撤収を選手も手伝っている 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】
自分も8年前に栃木でチームを立ち上げた経験がありますけれど、そのときは開幕まで10カ月間も猶予がありました。今は正直、前の会社から引き継がれているモノや情報がほとんどありません。試合の運営も含めて、ゼロからいろんなものを組み立てていかなければならない。それなのに毎週、試合がやってくるわけです。これはかなりきつい状況です。
今ははっきり言って、ディフェンス一辺倒です。本来であればオフェンス、すなわち営業に回って、売り上げを増やさなければいけないところですが、まだなかなか手をつけられません。まずコストを削減して、いかに効率的に運営するか、体制を作るかというところに、(1月末の時点で)奔走している状況です。幸いにも、つくばロボッツのスケジュールは後半戦にホームゲームが固まっています。営業的にはそこで立て直し、かつ次のシーズンにつながるような布石を打てるのではないかなと思っています。
短期的なところでいけば、今6千万円の資本金がある中で、とにかく(赤字が)それをオーバーしないように、いったんシーズンを乗り切ることです。本来であれば売り上げたチケット代で選手の人件費を払えればいいわけですが、今はなかなかチケットが売れない中で、出ていくお金の方が多い。それを資本金で補っている状況です。
次の年(2015−16シーズン)に、利益を出すという状況になるんですけれど、営業がどこまで追いつくかというのは、まだ厳しい状況です。10年間かけて徐々に(累損を)解消していきましょうということならいいのですけれど、できるだけ早い段階で解消しようと考えてはいます。当然、我々もかつて話が出たようにサイバーダインさんの子会社になりたいと思っています。上場企業の子会社になるのならば、累損を一定のレベルまで解消しなければいけません。
――残ったスタッフの数は?
チームスタッフ2名、フロントスタッフ1名は前の経営母体から残ってくれています。一方で(選手以外のスタッフ)4人が辞めています。試合運営もフロント社員3名でやっていますが、(ホームゲーム会場の)設営と撤収は選手にも手伝ってもらっています。コーチやトレーナーも含めて、椅子を片づけたり、ライン引きをやったりということをしています。
――観客数の推移はどうですか?
そんなに変わっていないですね。旧法人がマーケティング活動をしっかりやっていなかった中で観客が平均500〜600人いるということは、見方を変えればよくそれだけ来ていただいているなと思います。
――ファンから疑問、不満をぶつけられることもあると思いますが?
「ふざけるな」「なにやってるんだ」と怒鳴られたことはありますし、「応援していた選手がいなくなった」と泣かれたりもしました。本当に申し訳ありませんとしか言いようがないです。今は自分が当事者ですから、しっかり謝るしかありません。
前会社が経営難になったことは事実ですが、チームを立ち上げて、続けてきた人がいたから、今があるということも事実です。前の経営者に対して恨み節を言っても意味がないと思っています。信頼、信用を取り戻すということを第一にやっていかないといけません。
「2020年までには日本一のタイトルを取る」
「諦めないチームを作り、2020年までには日本一のタイトルを取りたい」と意気込んだ 【スポーツナビ】
人口規模としては、つくば市は約21万人ですが、土浦市と合わせると36万人程度の商圏になります。水戸市が約27万人ですから、茨城県内では最も大きなマーケットになります。
つくばという街は研究学園都市であり、新興住宅地であり、国際会議などもたくさん行われます。世界からも注目される街で、加えて地域を代表する企業であるサイバーダイン社からご支援を頂いているということも考えれば、プラスの要素はあります。それに2019年の茨城国体に向けて、つくば市にアリーナ建設の動きもあります。
――最大のスポンサーであるサイバーダイン社の支援はいかがですか?
(サイバーダイン社は)スポーツエンターテインメントで街の活性化をする、科学技術とスポーツを融合することに、可能性を感じてくれているわけです。あれだけ選手が入れ替わり、騒がれている状況の中でも、揺るぎなく支援をしますということを言って頂きました。しっかりその恩に応えなければいけないなと思っています。
――今後のチーム強化についてはどうお考えですか?
自分がよく言っているのは「ロボットは死にません」ということです。もちろん電池が切れないようにしなければいけませんけれど、ロボットは不死身です。今回の出来事も含めて「ロボッツは諦めない」というカルチャーを作りたいと思っています。この苦しさを味わって、つぶれるつぶれないというぎりぎりの線になっても、ファンや支援者の皆さんが残していこうと必死に考え、それに応えて一部の選手も残ってやっていこうと思ってできたチームです。だからこそ「諦めない」ということを信条にしたい。ルーズボールであったり、リバウンドであったり、点差が離れても手を抜かないプレーであったり……。そういう精神性が持てるチームというのを、この出来事があったからという言い方になってしまいますけれど、作らなければならないと思っています。
給与が減っても残ってくれた6人の選手に対しては、本当に敬意を表さなければいけないと思っています。彼らがそこに懸けてくれた想い、諦めずにこのチームに懸けていこうとしてくれた想いを、忘れてはいけないと思っています。
また、茨城県のバスケットボール協会や関係者の方々が手弁当で手伝ってくれたり、手を差し伸べてくれたりしています。そのような中で、諦めないというチームを、とにかく作り、2020年までには日本一のタイトルを取りたいと思っています。
<了>
山谷拓志
1970年生、東京都出身。93年慶應義塾大学経済学部卒業、株式会社リクルート入社。大学時はアメリカンフットボール部に所属し日本代表やオールスターに選出される。05年株式会社リンクアンドモチベーション入社、スポーツマネジメント事業部長就任。07年株式会社リンクスポーツエンターテインメント(リンク栃木ブレックス運営会社)代表取締役社長就任。NBLに所属するプロバスケットボールチーム・リンク栃木ブレックスの創業者としてチーム設立から3年目で日本バスケットボールリーグ(JBL)制覇を達成し日本一。3期連続で黒字化も達成した。日本トップリーグ連携機構による優秀GM表彰「トップリーグトロフィー」を08年から2年連続で受賞。公益財団法人日本バスケットボール協会新リーグ運営本部副本部長/COOを経て13年7月よりNBL専務理事/COO、日本バスケットボール育成リーグ(NBDL)専務理事も兼務。14年10月にNBLを退任し、翌11月に株式会社つくばスポーツエンターテインメントを設立。