ベスト8は日本サッカー界の頭打ちか? 敗因とアギーレ体制の是非を考える

宇都宮徹壱

この敗戦で日本が失ったもの

PK戦の末にUAEに敗れた日本。96年のUAE大会以来となるベスト8にとどまった 【写真:ロイター/アフロ】

 6人目のPKキッカー、香川真司のキックが左ポストに弾かれた瞬間、15年前の映像が脳裏に蘇った。2000年のシドニー五輪である。

 アデレードで行われた米国との準々決勝は、2−2のまま120分間でも決着が付かず、PK戦にまでもつれ込む。この時、4人目の中田英寿のキックがポストに嫌われてしまい、結果として日本はベスト8で大会を去ることとなってしまった。中田のような偉大な選手でも、PKを外すときは外す。さらに歴史を遡れば、ロベルト・バッジオだって、ミシェル・プラティニだって、ジーコだって、ワールドカップ(W杯)でPKを外しているのだ。香川や本田圭佑が外したのも、確かにショッキングではあるけれど、「PKは誰が外してもおかしくない」というハビエル・アギーレ監督のコメントには、ただただ頷くしかない。

 しかし、それでもやっぱり悔しい。準々決勝という段階での敗退も悔しいし、やられた相手がイランやオーストラリアや韓国ではなく、UAEというのも実に口惜しい。00年のレバノン大会以降、日本はアジアカップにおいて4大会連続でベスト4に進出しており、そのうち3回優勝している。日本がベスト8にとどまったのは、96年のUAE大会以来のこと。ちなみにこの大会での日本は、グループリーグ3試合に全勝して好調を維持していたものの、準々決勝でクウェートにあっさり0−2で敗れている。

 今回の敗戦により、いくつかの大切なものが失われてしまった。まず、アジアチャンピオンとしての称号と、その証(あかし)であるトロフィー。次に、オーストラリアや韓国と公式戦での真剣勝負(最終予選で必ずどちらかと当たることを考えると、非常にもったいないことだ)。そして17年にロシアで開催される、コンフェデレーションズカップの出場権(今後、欧州や南米と対戦する機会が限られてくることを考えると、これまたもったいない)。さらに、われわれ日本のサッカーファンにしてみれば、「アンダー世代がアジアで勝てなくなっても、A代表はまだ大丈夫」というかすかなプライドと微妙な安心感もまた、今回の敗戦によって無効となってしまったのである。

日本代表を苦しめた4つの敗因

再三訪れていたチャンスを決めることができず、前半7分の大会初失点が最後まで重くのしかかった 【写真:ロイター/アフロ】

 あらためてこの試合を「敗因」という切り口から振り返ってみることにしたい。日本の敗因を列挙すると、(1)中2日の強行日程による疲労、(2)早い時間帯での失点、(3)同点に追いつくまでに時間がかかりすぎたこと、(4)決めるべき場面で決めきれなかったこと、以上4点に集約される。

 まず(1)。相手のUAEは前の試合から中3日空いていたのに対して日本は中2日、しかも移動日も含まれていた。アギーレは「私は言い訳はしない。選手たちはしっかり準備したと思う」と語っていたが、やはりまったく影響がなかったとは言いがたい。実際、吉田麻也は「もしかしたら中2日で、体がしっかりフィットしきれていなかったかもしれない」と語っている。この「フィットしきれていなかった」感覚が、フィジカル面の負担のみならず、一瞬での判断の遅れや集中力の途切れといった部分にも影響を及ぼすことになる。

 次に(2)。UAEは序盤での先制パンチを狙い、スルーパスやロングパスから7番のマブフートを日本のディフェンスラインの裏に走らせていた。マブフートはスピードこそあるものの、日本の守備陣がしっかり集中していれば、何ら問題のない相手であった。しかしアンカーの長谷部誠は「失点の場面は、まったくDFラインが集中していなかったし、ボールを出した選手に対するプレッシャーもまったくなかった」と喝破(かっぱ)している。前半7分、右サイドからのロングパスに反応したマブフートに対し、吉田はアプローチを、そして森重真人はカバーリングを試みるも、その前に放たれたシュートは、そのまま日本のゴールに突き刺さる。かくして今大会277分目に喫した初失点は、その後の113分にわたって日本を苦しめ続けることになった。

 そして(3)。日本に同点ゴールをもたらしたのは、途中出場の柴崎岳であった(後半9分に遠藤保仁と交代)。本田にくさびのパスを入れ、落としたボールをダイレクトでシュートを放つと、これがゴール左に見事に決まる。「(本田)圭佑さんが自分の落としてほしいところに落としてくれました」とは本人の弁。ただし決まったのは、試合終了9分前の後半36分である。その間、日本はずっと焦燥感を募らせながら、相手陣内を攻め続けていた。もっと早い時間帯で同点弾が決まっていたなら、その後の展開も違ったものになっていたはずだ。

 最後に(4)。これについては、あまり多くを語る必要はないだろう。シュート数は日本35(枠内シュート8)、UAE3(同2)。ポゼッションは日本68.1%、UAE31.9%。しかし、120分でのスコアは1−1のままであった。「これだけチャンスを作っても負けてしまう、サッカーの怖さをあらためて学んだかなと思う」とは、最年長の遠藤のコメント。もっとも、チャンスを作っても得点がなかなか生まれないのは、先のイラク戦(1−0)も同様であった。あの試合でもし、本田がバーやポストに当てたシュートのうち2本でも決まっていれば、日本は続くヨルダン戦でターンオーバーを試みることもできただろう。そうなれば(1)の問題も、ある程度は軽減できたかもしれない。もちろん、そうした「たら・れば」話は、今となっては詮無きことであるが。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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