震災20年目の競馬 乗峯栄一の「競馬巴投げ!第90回」

乗峯栄一

支柱は折れ、オッズ板手前は瓦礫の山

[写真]阪神競馬場復活の週に講談師・太平洋(現・旭堂南鷹)とパフォーマンスを行ったのだが、これがエライことに…… 【写真:乗峯栄一】

 大きな被害が出たという、阪神競馬場にも取材に行った。競馬をやってなく、場外発売もない競馬場に行ったのは岡潤一郎騎手の淀競馬場葬儀のときと、この震災直後の阪神と、2回しかないように思う。

 アナログ写真をデジカメで撮り直したものなので、ボケボケで恐縮だけど、[写真1]はパドック大屋根を正面から撮ったものです。大屋根は形は残っているけど、鉄骨の支柱があちこち折れていた。オッズ板の手前が崩れ落ち、瓦礫の山となっている。

 競馬場厩舎地区では、近所で被災した人が避難生活していた。

[写真2]はその崩れ落ちた駐車場の姿です。

 再建後は新しく造られた駐車場の上に通路(サンライトウォークって呼ばれたかなあ?)が出来て「こりゃ駐車ジョウジョウの通路やな」と隣の講談師・太平洋(現・旭堂南鷹・なんおう)に言うが、無視されたので、「駐車場上の通路は無視できるかもしれんが、もし二条城の上にこんな上々の通路が出来たらどうだ? 二ジョウジョウジョウジョウジョウ通路だ、これは無視できんだろ、あははは」と自分で言って自分で笑ったが、やっぱり無視された。太平洋は競馬場パフォーマンス(実はぼくがけしかけたのだが)のことで頭がいっぱいだった。

[写真3]太平洋の阪神競馬場パフォーマンスは、阪神競馬場復活の週(1月に被災して12月に再開された)の日曜(阪神3歳牝馬でエアグールーヴらを押さえてビワハイジが勝った)競馬終了後行われた。予想をはるかに超える300人ぐらいの人が取り囲んでしまい、監視カメラを見てあわを食って駆けつけた私服警備員数名が太平洋を連行し、ぼくも後を追ったので、別々の部屋で取り調べを受けることになる。

「わたくし、こういう者で、競馬コラムとか書いておりまして」と名刺を出すと、石橋稜のようなトレンチコートを着た警備員(部屋に入ってもコートを脱がないのだ)はポケットに手を入れて立ったまま、机の上の名刺を覗いて、一言「知らねえなあ」と関東弁でおっしゃった。

 そりゃ、やっと復活開催にこぎつけた第一週に、訳の分からないパフォーマンスで、黒山の人だかりになれば、警備課も過敏になるわなあ。

若い女性事務員「私も行きます」

[写真4]サトノノブレスが有馬記念からの巻き返しを狙う 【写真:乗峯栄一】

 しかし阪神競馬場震災取材で、個人的に一番心に残ったのは、実はそこではない。

 取材のため、あちこち倒壊した阪神競馬場の入口から事務室に電話して貰うと「取材の人が多くて、こちらも忙しいし」と冷たい返事が来る。「そこをなんとか」と頼み込んで事務所まで行って許可を貰い、「さあ、あちこち見てみよう」と出ようとすると「あ、私も行きますから」と若い女性事務員(結構カワイイ)が小走りにカウンターを回り込んで近寄ってくる。

 ここでは二つの解釈が可能だ。

○ウサンクサイ男だから勝手にあちこち入らないように見張らねばならない。

○思いのほか素敵な人なので一緒について回りたい。

 色々案内して貰い、何となくデートしているような気になってきた時「名刺かなんかもらえます?」と不意に聞かれた。ここでも二つの解釈が可能だ。

○スポニチの取材とか称しているが怪しいから後で照会してみる。

○仕事上いろんな取材者を見てきたが、こんなステキな人は珍しい。個人的にも付き合いたいので連絡先を知りたい。

恋に時間と状況は関係ない

[写真5]充実をうかがわせるタマモベストプレイ 【写真:乗峯栄一】

 昨年末、有馬の日に阪神競馬場に行ったときも、40代男二人に対してこの話をした。

「20年前、この阪神競馬場の若い女性職員がカウンターから飛び出してきて“あなたと一緒に歩きたい”と言った。まだ会って5分も経っていないのにだ。震災で建物が傾き、競馬開催も出来ない非常時であるにもかかわらずだ。でも恋に時間と状況は関係ない。そういうものだ、恋というのは。一緒に歩いていると“名刺、貰えます?”と言う、その若い女性職員が。ああ、かつて岸恵子と佐田啓二は空襲と焼夷弾の炎で帝都が地獄絵図と化すなか、数寄屋橋の上で“君の名は?”と問うた。その阪神競馬場の若い女性は震災の瓦礫の横で“名刺貰えます?”と言った。必死の形相だった」

「それってあれじゃないですか? なあ?」と同伴者がもう一人の方を見る。「不審者が変な所に立ち入らないように見張るとか。名刺もほんとに取材者なのかどうか確かめるとかって、そういう事じゃないですか?」と言う。

「君はそのときの彼女の瞳を見たのか?」

「は?」

「“私も一緒に行きます”とカウンター飛び越えてきた時の彼女の瞳を見たのか?」

「いやあ」

「そのとき彼女は岸恵子が佐田啓二を見詰める瞳をしていた」

「え? それってどんな瞳ですか?」

「こう、ドブにはまったヒキガエルが近くを泳ぐアメンボに狙いをつけたような」

「岸恵子がそんな瞳するんですか」と同伴者が首を捻る。

「で、その後、彼女から連絡あったんですか?」ともう一人の同伴者が聞く。

「いや、ない。連絡はないが、それは何か事情があったんだ。彼女の父親が高利貸しから借金していて、彼女は泣く泣くその高利貸しヒヒジジイの後妻にならざるを得ないとか、そういう事情があったんだ、きっと」

 そう言い終わったときには、二人は既に自分の競馬予想紙に印を入れ始めていた。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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