ギリギリまで努力し続けた先にあるもの=新体操・山口留奈の引退に寄せて

椎名桂子

11月の全日本選手権で引退を表明した山口留奈 【末永裕樹】

 2011〜13年に新体操の全日本選手権3連覇を成し遂げた山口留奈(イオン)は、14年11月に行われた全日本選手権の大会初日、演技終了後の囲み取材で、「競技からの引退」を突然口にした。初日の2種目では総合2位につけており、4連覇の可能性もまだ十分に残っていた。その中での「引退宣言」だった。

 結果的には個人総合2位、4連覇とはならなかったが、華麗な演技を最終日まで見せた。その大会から1カ月後、「少し早すぎるのではないか?」と思われる引退について、直接本人に話を聞いてみると、「競技で新体操をやるのは今年までと決めていました。春先にけがをしてしまい、それがなかなか治らなかったのもあります。ですが、それよりも今回の全日本選手権の1日目に、本当にやりたかった新体操ができたから『これでもういい』という気持ちがありました」と、山口は明るい笑顔で語った。

悲願の五輪出場はかなわず

ロンドン五輪への出場がかなわず、テレビでは「正直、あまり見たくない気持ちもありました」と語る 【スポーツナビ】

 山口留奈は、10年の高校3年生のときに初めて世界選手権(ロシア・モスクワ)の舞台に立った。その後、11年の世界選手権(フランス・モンペリエ)、12年のロンドン五輪出場権のかかったプレ五輪(テストイベント)にも日本代表として出場。五輪への出場こそかなわなかったが、全日本選手権3連覇が示すように、近年の日本新体操界では「女王」の座に君臨していた選手だ。

 しかし、一方でどこか不運な印象があった。とくに12年のロンドン五輪前には、さまざまな困難が待ち受けていた。
「(プレ五輪のときは)『五輪』というのが目の前にあって、想像以上の緊張感で、今までに経験したことがないようなくずれ方を試合でしてしまいました。どんな顔をして日本に帰ればいいのかと……」

 その後、五輪出場が決まっていた団体チーム(フェアリージャパン)に故障者が出たため、個人選手から団体メンバーを補充するという可能性が浮上。当然、山口も団体の海外合宿に召集された。
「ジュニア時代は団体もやっていたし、もともと団体は好きでした。チャンスがもらえるのだったら入りたいという気持ちはありました」

 しかし、その思いはかなわず、ロンドン五輪は日本で中継を見ていたという。ちょうど合宿中で、JISS(国立スポーツ科学センター)でほかの強化選手たちと一緒だったが、「自分ももしかしたらあそこに立っていたかもしれないと思うと、正直、あまり見たくない気持ちもありました」と複雑な心境だったことを話してくれた。

スランプからの脱却

 それらの経験からか、11年まで「正確無比」が強みだった山口は、12年にはスランプに陥った。試合では、以前に見られなかったようなミスを繰り返し、どこか「心ここにあらず」といった表情も見せるようになっていた。
「プレ五輪での失敗から、試合が怖くなっていました。岡久留実先生(イオンのヘッドコーチ)からは、『怖さは試合で克服するしかない』と言われていましたが、試合に向けて練習をしていても、なかなか気持ちが集中できていませんでした」

 この頃は、「試合に出たくない」「練習したくない」という気持ちに何度もとらわれた。ただ、不思議と「新体操をやめたいとは思わなかった」と言う。
「負けず嫌いなんです。そのときはつらかったけれど、克服できないままやめるのだけは嫌だと思っていました。それに、横地愛さん(元新体操選手、07年世界選手権などに出場)や、ほかのイオンの先輩方の引退を見ていたので、自分は絶対に納得のいく引退をしたいと思っていました。それに途中で折れたら自分に負けることになるし、それが嫌でした」

 その負けん気を示したのが、12年の全日本選手権。個人総合での優勝で復活を成し遂げた。ここでの優勝は、ただの連覇ではなく、スランプを乗り越えての価値ある連覇だった。

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著者プロフィール

1961年、熊本県生まれ。駒澤大学文学部卒業。出産後、主に育児雑誌・女性誌を中心にフリーライターとして活動。1998年より新体操の魅力に引き込まれ、日本のチャイルドからトップまでを見つめ続ける。2002年には新体操応援サイトを開設、2007年には100万アクセスを記録。2004年よりスポーツナビで新体操関係のニュース、コラムを執筆。 新体操の魅力を伝えるチャンスを常に求め続けている。

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