ギリギリまで努力し続けた先にあるもの=新体操・山口留奈の引退に寄せて

椎名桂子

「不運」の先に待っていた「最高の引退」

最後の全日本選手権では、岡コーチからも「涙が出た」という感想をもらったほど、最高の演技ができた 【榊原嘉徳】

 13年、新体操では大幅なルール変更が行われ、「表現力」が重視されるようになってきた。どちらかというとテクニカルな選手だった山口にとって、新ルールへの対応には不安があった。さらに16年のリオ五輪、20年の東京五輪に向けて、国内では強化の中心がより若い世代へと移行していく。本来なら、山口が選ばれてもおかしくなかった国際大会への出場が、他の選手に回ってしまうこともあった。
「『なぜ?』という思いもありました。でも、もし自分に選ばれるだけの実力があれば、選ばれたはずです。私は、素質で足りない部分が多かったのですが、実力で上回ることができれば、素質に恵まれた選手よりも自分が選ばれていたと思っています。選ばれるだけの実力が、あのときの自分には足りなかったのだと思います」

「実力が足りなかった」という自己評価は、厳し過ぎるようにも思う。それでも、山口がその言葉を口にするのは、選手人生の中で、何回も「実力」で道を切り開いてきたからこそなのだろう。「運が悪い」と嘆いて諦めることを、山口留奈はしてこなかった。だからこそ、三度も全日本チャンピオンになった。そのプライドが、そう言わせるのだ。

「最後の全日本選手権では、演技が少し硬くなってしまったところもあったとは思います。でも、気持ちがのっていたし、『踊りたい!』という気持ちで試合に出られたことが本当に良くて、スッキリした試合になりました。岡先生からも、『涙が出た、感動したよ』と言っていただけ、本当にここまでやってきてよかったなと思います」

これからの人生

現在、大学4年生。これから新体操に限らず、新しいことにも挑戦していきたいと話してくれた 【スポーツナビ】

 最後に、新体操の競技生活にひと区切りをつけた今の心境を聞いてみた。
「選手をやっている以上、試合には勝ちたいし、世界にも出たいと思うのは当然です。でも、その道はかなり険しいのが今の日本の新体操の現状です。今、私は、たとえ目標は達成できなかったとしても、努力し続けていれば、最後には『自分の新体操』に納得できて、いい終わりを迎えることができるんだなと思えます。そのためには、やはりギリギリまで努力することが必要だったんだと思います」

 山口は、現在大学4年生。卒業後は、一度は新体操を離れて他の世界も見てみたいと話す。その一方で、けがやスランプでつらかった時期に、一番支えになったのは、小さな選手たちの「るなちゃんの演技が好き。また見たい」という言葉だったと話し、新体操の後輩たちのサポートも何らかの形でできればと考えているそうだ。

 新体操での競技人生が終わっても、彼女の人生はまだまだこれからだ。

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著者プロフィール

1961年、熊本県生まれ。駒澤大学文学部卒業。出産後、主に育児雑誌・女性誌を中心にフリーライターとして活動。1998年より新体操の魅力に引き込まれ、日本のチャイルドからトップまでを見つめ続ける。2002年には新体操応援サイトを開設、2007年には100万アクセスを記録。2004年よりスポーツナビで新体操関係のニュース、コラムを執筆。 新体操の魅力を伝えるチャンスを常に求め続けている。

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