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関塚隆と石崎信弘、邂逅する2人の指揮官
J1昇格へ、交錯するそれぞれの思い

Jリーガーの間で有名な「フィジテク」

Jリーガーの間でも有名な石崎監督(写真)の「フィジテク」。川崎時代には中村ら才能ある若手を多く起用し、チームを作ってきた
Jリーガーの間でも有名な石崎監督(写真)の「フィジテク」。川崎時代には中村ら才能ある若手を多く起用し、チームを作ってきた【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 12月7日のJ1昇格プレーオフ決勝を誰よりも楽しみにしているのは、中村憲剛かもしれない。「誰よりも」という表現は大げさだとしても、彼が注目しているのは間違いないはずだ。味の素スタジアムで激突するモンテディオ山形とジェフユナイテッド千葉を率いる両監督は、この34歳のMFのキャリアに大きな影響を与えているからである。


 中村は2003年に中央大学から川崎フロンターレに加入した。当時J2のチームを率いるのが、現山形監督の石崎信弘だった。プロ1年目のルーキーに、石崎のトレーニングは厳しかった。Jリーガーの間では有名な「フィジテク」の洗礼を浴びた。


「普段の練習はフィジテクと言って、フィジカルとテクニックを混ぜた基礎を全力でやる。しかも、ミスをしたら最初からやり直し、とか。フィジカルはとにかく鍛えてもらったし、試合にもほとんど使ってもらいました」


 背番号26をつけた攻撃的MFは、開幕戦からベンチ入りを果たした。才能ある若手を積極的に起用する石崎のチーム作りと、中村が秘める可能性がシンクロしたのである。


「途中交代とか途中出場が多かったんですけど、全試合ベンチに入れてもらって。イシさんのもとでプレーしたあの1年が、プロとしてやっていく土台になりました」

中村をボランチへコンバートした先見の明

中村をさらなる飛躍に導いたのが関塚監督だ。トップ下からボランチにコンバートし、ポリバレントな資質を開花させた
中村をさらなる飛躍に導いたのが関塚監督だ。トップ下からボランチにコンバートし、ポリバレントな資質を開花させた【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 川崎がJ1昇格を逃したことで、石崎監督は03年限りでチームを去った。代わって指揮権を託されたのが、鹿島アントラーズで長くコーチを務めてきた、現千葉監督の関塚隆だった。


 背番号を14に替えたプロ2年目の中村は、シーズン前のキャンプで指揮官から意外な構想を明かされる。「ボランチにコンバートするから」と告げられたのだ。


「軽い肩透かしというか、『いや、やったことないですから』みたいな感じで。いざやってみると、本当に大変で」


 大学までは「ザ・トップ下みたい」にプレーしてきた中村である。相手に合わせてプレーすることの多いボランチへの戸惑いは大きかった。またディフェンスへの不安も先行した。


「でも、試合で使ってもらいながらどういうプレーをするべきか覚えていくうちに、楽しくてしょうがなくなって。しっかりディフェンスができるようになったら自分のプレーの幅も広がるし、トップ下の選手はボランチにどういうプレーをしてほしいのかも分かるようになった」


 持ち前のテクニックを生かすためのフィジカルを、プロ1年目で身に付けた。ボランチでもトップ下でもプレーできるポリバレントな資質を、プロ2年目に開花させた。のちに日本サッカーをけん引していくことになる男のキャリアに、石崎と関塚は深く関わっている。

戸塚啓

1968年、神奈川県出身。法政大学第二高等学校、法政大学を経て、1991年より『週刊サッカーダイジェスト』編集者に。98年にフリーランスとなる。ワールドカッ1998年より5大会連続で取材中。『Number』(文芸春秋)、『Jリーグサッカーキング』(フロムワン)などとともに、大宮アルディージャのオフィシャルライター、J SPORTS『ドイツブンデスリーガ』などの解説としても活躍。近著に『低予算でもなぜ強い〜湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)や『金子達仁&戸塚啓 欧州サッカー解説書2015』(ぴあ)がある

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