北九州の躍進を支える充実感と気概 J2・J3漫遊記ギラヴァンツ北九州<前編>
ニューウェーブ北九州時代の記憶
今季、チーム最多得点を挙げて絶好調の池元。ニューウェーブ時代を知る数少ない選手でもある 【宇都宮徹壱】
会場の本城陸上競技場は、屋根もなければ電光掲示板もない。ギラヴァンツ北九州のサポーターグループ「イエローブリゲード」のコールリーダーも、地域リーグ時代と同じ人だった。そしてゴール裏から発せられるチャントもまた、ニューウェーブ北九州時代から、ほとんど変わっていない(ちなみに選手入場の際に彼らが唱和するのは、フォークソングの神さま、岡林信康の『友よ』である)。
私が初めてこのクラブに出会ったのは2005年。ニューウェーブ北九州というクラブ名で九州リーグを戦っていた頃の話だ。ちなみに当時の九州リーグでは、ロッソ熊本(現ロアッソ熊本)、FC琉球、V・ファーレン長崎も所属していた。コールリーダーの長谷川務に「九州リーグ時代から変わっていないですね」と話しかけると、彼は機嫌を悪くするどころか「いやあ、あの頃は楽しかったですよ」と、大いにうなずいてみせた。
「05年の最終節はサン宮崎(編注:後のエストレーラ宮崎。10年3月に解散)に15−2でボロ勝ちしたんですけれど、その試合で池元友樹が7点入れて、逆転で得点王になったんですよね。実は試合前にトイレに入ったら、隣に池元がいたんです。『おい、5点くらい行けるよな?』って声をかけたら、『はい、取ります!』って答えて、それで7点ですからね。さすが元リバープレートですよ(笑)」
それから9年。九州リーグ得点王の池元もまた、本城のピッチに立っていた。東福岡高校時代に高校選手権で活躍したもののJクラブから声がかからず、アルゼンチンに渡ってリバープレートのユースで2年間の武者修行。帰国後、ニューウェーブに加入して、アルバイトをしながら地域リーグでプレーを続けた。その後、数チームを渡り歩き、12年に古巣である北九州に完全移籍。現在のメンバーで数少ない、ニューウェーブ時代を知る男に、J2になって何が変わったのかを尋ねてみた。
「地域リーグ時代に比べたら、環境面では変わりましたよね。柏(レイソル)や横浜(FC)でプレーして戻ってきてみると、確かにウチは本当に小さなクラブだとは思います。まだまだ足りていないところもある。それでも、正直、ここまで来たかっていう想いはあります」
たとえ今季J1に昇格できなくとも
今季、川崎から移籍してきた風間。不動のボランチとしてチームの躍進を支えている 【宇都宮徹壱】
台風18号が接近しているためか、この日の北九州は強い風が吹き荒れていた。風が強い日の試合は、往々にしてゲームが動きやすい。開始早々の8分、北九州はコーナーキックから混戦となったところを、原一樹が押し込んで先制。しかし風上に立つ富山は、17分(木本敬介)と21分(秋本倫孝)の連続ゴールで逆転に成功する。前半は、アウェーの富山が1点リードで終了。
ハーフタイム。撮影場所を移動する中、会場内ではいつものようにJリーグのオフィシャルパートナー各社が読み上げられていた。しかし本城には電光掲示板がないため、何やらラジオのCMを聴いているような気分になる。現在、J1・J2の40クラブの中で、電光掲示板が設置されていないスタジアムをホームとしているのは北九州だけ。加えて、芝生席を除いた収容人員は1万202人となっており、JリーグがJ1ライセンスの条件としている1万5000人の収容人員には届いていない。このため北九州は、J2ライセンスのままの状態が続いている。
つまり北九州は、このまま6位以内でフィニッシュしても、J1昇格プレーオフに進出することはできない。にもかかわらず、選手たちのモチベーションが途切れないのはなぜなのだろうか。川崎フロンターレ監督、風間八宏の長男で、今季から北九州に加入した風間宏希は、その理由をこう語る。
「やっぱりサッカーやっていたら、当たり前に勝ちたいですよね。J1に上がれないからといって、モチベーションが下がってプレーが悪くなるようなことは、サッカー選手としてあってはならないと思っています。今はむしろ(プレーオフに)出れなくても、もっともっと上に行ってやろうっていう想いのほうが強いです」
後半13分、風上に立って攻勢を強めていた北九州は、池元が相手DFと競り合ってこぼれたボールに小手川宏基がシュート。いったんは相手守備陣にブロックされるも、すぐさま内藤洋平が蹴り込んで同点とする。その後も北九州はたびたびチャンスを作るが、結局2−2のドローで試合を終えた。磐田との勝ち点差は2に縮まったものの、順位は4位のまま。残り7試合、昇格を度外視した北九州の意地の戦いが続く。