橋口師とワンアンドオンリー父子2代の夢=菊花賞は“世界”への通過点に
橋口調教師が語るワンアンドオンリーとともに描く夢とは 【netkeiba.com】
“ダービー”は思っていたより何十倍も大きい
今年のダービーは橋口調教師の悲願がついに成就した 【netkeiba.com】
「勝った時は泣きそうになりましたけど、グッとこらえました。念願のダービー勝利で、やっと獲れたというか、周りの人たちが毎年声を掛けてくれてましたから、その人たちの期待に応えられたという思いもありましたし、親の顔も浮かんだし、友達の顔も浮かびましたね。あの日は晴れた天気だったから、『天国から良く見えたやろ』って言われたりして。今想い出しても泣きそうになりますね」
ダービーのことを振り返ると、長年の想いと共に、応援してくれたたくさんの人たちの顔が浮かんでくるという。念願のダービートレーナーになって約4カ月が経った今でも、その1勝は大きな余韻となって響いていた。
「思っていたより何十倍も大きいです。何倍じゃない、何十倍ですよ。ダービートレーナーになったことを実感したのは、翌日の新幹線ですね。スポーツ新聞を全紙買って読みながら、『俺は勝ったんやな』って呟きました。その後も余韻はずっとありました。だって最近まで、久しぶりに会った人が『ダービーよかったな』って握手してくれるんです。盛岡のマーキュリーカップで勝った時も、表彰式に行ったら『ダービーおめでとう』の声の方が多かったですから(笑)。そんなレースは他にないでしょう」
ダービーを勝つことがどんどん難しくなった
負けることを考えていなかったという1996年ダービーのダンスインザダーク(右) 【netkeiba.com】
「実際入れ込んだのは、今回を別にしたらダンスインザダークだけですよ。リーチザクラウンは、あの土砂降りの雨でね、すごいレースでした。儲けもんといえるんじゃないでしょうか。ハーツクライは、あの頃はまだひ弱だったから、2着に来て嬉しかったです。でもダンスは、負けることを考えていませんでした。もう勝負付けも済んでいると思ってましたし。
だから直線抜け出して来た時に、これからどれくらい引き離すかなと思っていたら、何かがシュッシュシュッシュ近づいて来て。まさかフサイチコンコルドとは思わなかったです。悔しいというか、頭が真っ白になりました。虚脱状態という感じでしたね。そこからここまで、本当に長かったです。あれからほとんど毎年出てましたけど、ダービーを勝つということがどんどん難しくなっていきました。もう勝つっていうことよりも、参加したいっていう気持ちの方が強かったですね」
今年の日本ダービーで、ワンアンドオンリーは3番人気に支持された。横山典弘騎手がどんなレースをするのか注目されたが、それまでの後方一気から一変、先行させた様子を見て、大観衆からも驚きの声が上がった。
「彼は感性で乗る男ですから、特に指示なんてしないです。馬場状態も良かったし、僕は中団くらいに行くかなと思っていたんですけど、一瞬だけ100mくらいのところでハナに行くのかな? っていう場面もありましたよね。『あらあらあら、大丈夫かな』とは思いましたけど、許容範囲かなと。皐月賞の時も一応出してるんだけど、馬が反応していないんですよ。でもダービーの時は馬が反応してましたから」
ワンアンドオンリーは、初めての2400mを好位で折り合い、最後の直線でイスラボニータとの激しい叩き合いを制した。競馬にタラレバは禁物だが、もしも後方から進めていたら、また違う結果になったかもしれない。
「今になってみると、もし弥生賞で差し切って勝っていたら、ダービーの勝利はなかったかもしれないです。あの戦法で勝ってたら、それを固定化したかもしれないですから。ダービー当日の馬場状態で、最後方から行って間に合うレースじゃなかったでしょう。そういうことはけっこうありますけどね。うちのハーツクライも、ジャパンCで後方から行ってハナ負けしたじゃないですか。でももしあそこで勝っていたら、有馬記念も後方から行ったと思うんです。そしたらディープインパクトは負かせてないんじゃないかな」
父ハーツクライと同じように、負けた競馬から学び、より輝きを増したワンアンドオンリー。そしてこれからは、ダービー馬としての結果が求められる存在になった。