安楽智大が身につけた新たなスタイル、新球「スプリット」を武器に最後の夏へ
最速131キロも195日ぶりのマウンドで見せた笑顔
4月6日紀央館高との練習試合で1回無失点に抑え笑顔を見せる安楽 【寺下友徳】
右腕尺骨神経まひは昨年末までに快癒し、早ければ2月にもマウンドに立つと思われたが、ブルペンに入っても立ち投げ程度で一進一退。練習試合解禁日の3月8日になっても変化はなかった。「骨には異常はないし痛みもないが、まだ右ひじに張りや違和感が出ている」。「4番・一塁」安楽で丸亀城西高、高槻北高との2試合を終えた後、つとめて冷静に、淡々と症状を語る元薬局経営・上甲正典監督の表情が、かえって状況の深刻さを物語った。
名将の不安は的中した。済美は春の県大会で安楽登板なきまま3月25日、中予地区代表決定戦で松山聖陵高の前に敗退。夏の愛媛大会ノーシードも決定してしまった。そして、その苦闘を主将として最も痛感していた安楽智大がマウンドに立ったのは4月5日・開星高との練習試合、9回裏二死一、二塁の場面である。
内容は打者2人に10球全てストレート。四球の後、サヨナラヒットを浴びた安楽。翌日の紀中館高、長門高との練習試合では計3回を無失点に抑えたが、最速は131キロで奪三振は0。そこにいたのは豪腕ではなく「普通の高校生長身投手」である。
だが、登板を終えダウンに入る安楽には満面の笑顔があった。昨年9月22日の秋季愛媛県大会1回戦・西条高戦から突入した「195日」の長く暗いトンネルが、ようやく光差す出口に到達した実感。そのうれしさが全身からにじみ出ていた。
毎試合投げる中で見せた「新スタイル」
そしてもう1つ、安楽は新たなスタイル作りに着手していた。それは新球「スプリット」の習得。一例を挙げれば4月26日、川之石高と招待試合で、彼は3回46球のうち約8割はスプリットを投じた。理由はこうである。
「練習試合の中で握力を弱らせて、その中で何ができるかを試しているんです」
冬の間、鍛え上げた下半身に、いかに腕の振りと指先の感覚をアジャストさせるか。表向きは「練習試合で145キロを出す」という目標を掲げていた安楽であったが、その裏では夏への下地作りを着々と進めていた。