元イラン代表監督、ゴトビが語る 勝利なしにも感じたアジア勢の可能性
イラン敗退に持つ2つの感情
元イラン代表の監督で、現在J1清水の監督を務めるアフシン・ゴドビ。彼にW杯ブラジル大会のイランについて語ってもらった 【飯竹友彦】
1つは、もっと攻撃的なサッカーを展開できたのではないかという気持ち。もう1つは今大会へ挑んだ新しいチームに感じた可能性だ。そして、その2つの感情は最終的にはアジア全体へとつながるポジティブなものになった。
10年から代表を指揮、改革を進める
ゴトビがイラン代表監督に就任したのは、2010年W杯南アフリカ大会の最終予選の最中で、3試合を残してのことだった。
「(前任者の)アリ・ダエイのチームがホームで行われたサウジアラビア戦で敗れ、予選突破の可能性が低くなった。そこでイランサッカー協会(FFIRI)から私へ(監督就任の)話が来て、チームを見るようになりました」
残す3試合はアウェーの北朝鮮戦、ホームのUAE戦、そしてアウェーの韓国戦だ。これをわずか11日間の中で戦わなければならないという難しいトライだったが、北朝鮮に0−0で引き分け、UAEには勝利した(1−0)。勝てばW杯出場という最終戦、韓国との試合へ挑むが、パク・チソンのシュートで1−1の引き分けとなり、(同日試合のあった北朝鮮対UAEの結果次第では可能性もあったが最終的に)予選敗退が決まった。しかし、FFIRIは困難な状況の中で勝ち点5を上げたことを高く評価し、ゴトビとの契約を延長した。
それまでとは違い、十分な準備期間を与えられた指揮官は、ここからチームの改革を進める。例えば、「プロ意識が高くなかった」という代表選手たちのコンディション管理を徹底させ、10年のときは平均で体脂肪率14〜15%という状況から、11年のアジアカップでは10%以下へと引き下げた。
また、同時にゴトビ監督は世代交代にも着手。特にイラン代表は英雄ダエイ引退後に真のストライカー不足に頭を悩ましていた。そこで、当時オランダにいたFWレザ・グーチャンネジャードや、ドイツでプレーしていたアシュカン・デヤガらがイランにルーツがあることを調査し、リストアップした。しかし、当時は所属クラブとの兼ね合い(リーグ戦での残留争い)や、イラン国内の政治的な問題(徴兵制)などもあって実現はしなかった。
現チームの骨格を担う選手を招集
ゴトビ監督に招集され、意識改革を受け、こうした成績を残した選手たちは、今回のW杯ブラジル大会で先発した11人中8人にもなる。また、当時招集はできなかったがルーツを調査していた選手たちが晴れてイラン国籍を選ぶなど、ポジティブな選択をしてくれたこともあり、現在のチームが完成した。結果的に見ればゴトビが改革を進めたときの選手たちが、現在のケイロス監督が率いるイラン代表ではチームの骨格となっているのは明白だろう。