今でもカメルーンとの交流が続く中津江村 特命全権大使が訪れる人口900人の村

江藤高志

裸足の子どもたちにスパイクを

エトーと坂本さん。掲げている横断幕は、村内の子供たちが手作りした応援旗 【写真提供:不屈のライオンの会】

 これら外交レベルでつながりを残す一方、民間レベルの交流も続いている。鯛生スポーツセンターは、今では年間4万人の利用客が訪れており、地域スポーツの拠点となっている。
「最寄りのコンビニまで車では片道30分ほどかかる」立地ということもあり「練習に集中できる環境」を売りにするセンターについて「夏休みは予約でいっぱいです。10〜16チームほどが集まる大会が開かれて、一度に300〜400人くらいの単位で子どもたちが集まります」と横山守義所長は説明。

「7割〜8割のチームがリピーターで、合宿中に次の年の予定が決まるような状況」にあるという。そんなセンターで開かれている大会の一つに、毎年10月に行われるカメルーン杯がある。昨年が第8回の開催となったこの大会は、小学生年代を対象に16チームを集めて実施されているが、10年に開催されたこの大会に合わせ、要らなくなったスパイクなどをカメルーンに送るべく長谷さんらが参加チームに提供を呼びかけたところ、多くの賛同を得たという。呼びかけるきっかけは、長谷さんがカメルーンを訪れた際に、裸足でサッカーする子どもたちを見かけた経験だ。
「裸足でプレーするくらいにサッカーが好きなんだと微笑ましく見ていたのですが、現地の方に聞いたところ、それによってけがをしてしまい破傷風などで亡くなる子が少なからずいると聞いたのです」
 それならば靴を送ろうと長谷さんは考えたのである。

 成長する子どもは1年に1足、2足と履きつぶしてしまう。それを捨てられない親御さんも、カメルーンで再利用してもらえるなら、と多くのスパイクが集まったという。これをJICA(国際協力機構)が毎年2回ずつ実施してきた「世界の笑顔のために」プログラムを通じてカメルーンに送ろうとしたが、靴は支援物資からは外れているためJICAでは送ることができなかった。
「ユニホームは支援物資の対象になるのですが靴は対象とはなっていないため、船便で自費で送っています」と長谷さん。

 募金を受け付けているわけではないため、これまで一度に50足程度を、4〜5回に分けて送るのが限度だったという。ところが民間レベルで行われるため、この支援には関税がかかってしまう。「その関税を支払うのは受け取った側になりますので、簡単に送ることができないのです」と長谷さんは困惑気味に話す。

 この件についてJICAの「世界の笑顔のために」プログラム担当者に問い合わせたが、支援物資は「JICAボランティアが活動している地域で要望のある品物」で、複数の利用者が使えるものに限定されているという。

 例えば11着以上がセットになったユニホームは試合時に着用することで、共有が可能だとして支援物資に認定されている。もちろんサッカーボールもそうだ。その一方で、サッカーシューズは受付対象外となっている。
「靴は個人所有になりますし、サイズが小さくなった靴でもそのまま履き続けてしまうため、靴ずれなどで足をケガしてしまうこともあるため安全面を考慮しています」と担当者は語る。

「すでにプログラムが始まって10年ほど経過しており支援物資について議論してきた中での結論」なため、この先基準が変更されることはないのではないかと担当者は話していた。なお、このプログラムに沿った支援物資と認定されると、日本国内の倉庫から支援国までの輸送費はJICAが負担することになる。また、支援先の国との間で関税がかからない取り決めがあるとのことで、中国、ブラジルなどの例外国を除いては、その面でも優遇されているという。

 というわけで、シューズは集めようと思えばいくらでも集められるのだが、日本からの発送時にも、カメルーンでの受け取り時にも費用が発生することもあり、今は表立って呼びかけることはしていないという。ただし過去に集めていたことを知る保護者からの善意は今も一定の割合で続いているという。

マナウスでの再会

ソングさんと坂本さん 【写真提供:不屈のライオンの会】

「不屈のライオンの会」と新井大使に見送られ、ブラジルを訪れた坂本元村長と津江さんの2人は、マナウスでのホテルがたまたまカメルーン代表の宿舎だったとのことで、試合前にエトー、そして今ではチームマネジャーとしてチームに帯同するリゴベール・ソングさん(現カメルーン代表のアレクサンドル・ソングは甥にあたる)に再会する。
「エトー選手とソングさんが私達のことに気がついてくれて、再会を喜んでくれているのはすごくよく分かりました。エトー選手は監督を紹介してくれて、チームメートにも『日本から来た』ということを話してくれていたようです」と話す津江さんは「エトー選手とは2008年にお会いして以来の再会だったので、本当に良かったです。中津江の子どもたちもキャンプのことを知らない子が増えています。選手も、02年を知るのはエトー選手だけになりました。だから代表チームともつながりを保てればいいと思っていました」と言葉を続けた。

 ちなみに津江さんも坂本さんもフランス語はもちろん、英語も得意ではないということで思うように言葉をかわせず。また、選手を見送ったあと警備担当者から英語らしき言語で一生懸命怒られたそうだ。なお、日本から持ち込んだおみやげを手渡せた83歳の坂本さんは、ホクホクだったという。

 クロアチア戦は散々な結果だったが、24日の日本時間午前5時から行われるブラジル戦でも不屈のライオンの会主催のパブリックビューイングが開催された。「Les Lions indomptables(不屈のライオン)」の愛称を戴くカメルーン代表はその片鱗を見せてくれはしたが、結果的に開催国に敗退。

 それでも懲りずにこれからも中津江村はカメルーンを応援していくはずだ。考えてみると独立国の特命全権大使が訪れる村が他にどれだけあるのか、という話である。また、ネイマール自ら歩み寄り、ユニホームを交換するような世界的なストライカーに、何人の日本人が顔を覚えてもらえているのかということでもある。だからこそ、中津江村はこの縁を大事にしていくべきである。ただ、代表チームから過去を知る人間が減る中、カメルーンとのつながりは違う次元への移行を模索する時期なのかもしれない。

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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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