岡崎慎司、痛感したFWとしての力不足 2試合シュートゼロ…直面した厳しい現実

元川悦子

屈辱感を胸に4年間走り続けてきた

2試合でシュートゼロ。ブンデスリーガで15得点を挙げた岡崎(右)が、W杯で苦しんでいる 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 2008年から岡田武史監督率いる日本代表に定着し、10年南アフリカワールドカップ(W杯)予選ではゴールを量産して、FWの大黒柱として君臨してきた岡崎慎司。しかし、4年前の南アフリカW杯直前にレギュラーから外され、本大会はジョーカーとして位置づけられた。自分が入るはずだったポジションで本田圭佑が躍動。その本田がおぜん立てしてくれたゴールをデンマーク戦で決めることになったが、「自分は何もやってないし、ベスト16進出も先発の人だけしか持てない達成感だったと思います」と、彼は帰国後に割り切れない思いを吐露したことがあった。

 その屈辱感を胸に、岡崎はこの4年間、懸命に走り続けてきた。11年アジアカップでの活躍を機に、本田や香川真司らとともにザックジャパンの攻撃の軸を担うようになり、重要な得点源として活躍。11年2月に渡ったドイツでもタフな経験を積んだ。今季プレーしたマインツではシーズン15得点を挙げ、1トップで大成功を収めるとともに、目覚ましい成長を遂げた。クラブで苦境に陥っている本田や香川以上に、このブラジル大会では岡崎に期待する声が多かった。

 それでも「僕はヒーローになってやろうという気持ちはない。チームが勝つためにやるべきことをやるだけ。クロアチアの(イビチャ・)オリッチが左サイドをやっていたり、ウルグアイの(エディンソン・)カバーニが右だったり、彼らは本来の位置じゃないところでプレーしながら自分を出している。僕もそうなれるように、無我夢中で勝利に向かいたい」と、自己犠牲の精神を前面に押し出した。どこまでも献身的な姿勢を忘れない点取り屋には、今度こそ自分が納得するゴールを奪って、日本の躍進の原動力になってほしかった。

左サイド起用というサプライズ

 だが、14日(現地時間)のコートジボワール戦は予期せぬ方向へと進んでしまう。本田の先制弾の後、日本は一方的にボールを支配され、相手のサイド選手に高い位置を取られた。自分自身が防戦一方になるとは、岡崎も考えていなかった。得点を挙げることで這い上がってきた男が、満を持して挑んだ2度目の世界舞台の初戦でまさかのシュートゼロとは……。本人も悪夢を見たような思いだったに違いない。

「1−0になった時、『どうしても勝ちたいから守ろう』と消極的になってしまった。どんな状況でも攻める気持ち、前に仕掛ける気持ちを持ち続けなきゃいけないと改めて言われた感じ。その重要性はW杯じゃないと学べなかった。だからこそ、次は自分たちの攻撃的なスタイルをやり切る覚悟を持って戦わないといけない」

 悔しい逆転負けを喫した初戦から3日が経過した17日、彼は努めて冷静にこう語り、闘争心を奮い立たせていた。

 裏を突いて、シンプルにゴールを狙う……。

 岡崎はギリシャ戦を前に、自分の長所を出すイメージを今一度、頭にたたき込んで、ナタルのエスタジオ・ダス・ドゥナスのピッチに立った。

 ところが、彼が最初に陣取ったポジションは右ではなく左だった。アルベルト・ザッケローニ監督は初戦で不振を極めた香川を控えに回し、大久保嘉人を先発起用。大久保を右、岡崎を左というサプライズ采配を見せたのだ。

「相手の右サイドバック(トロシディス)が結構持ち上がってくるというのは言われていたし、そこでハードワークするのと、前回の試合で下がり過ぎたので、もっと深い位置で起点を作るようにということだった。練習で左に入ることはなかったけど、シュツットガルトでもマインツでもやっていたから、基本的に問題ないと思った。自分のサイドハーフというのは、裏を抜ける、引きつけてワンツーをする部分。相手がマンツーマンだったんで、引きつけて誰かをフリーにすることで、また自分がフリーになれる。個人的には自分の色を出そうと思いました」と、彼は自らに託された仕事を忠実にこなすことを第一に考えた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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