ボスニアの健闘に前日の日本戦を想う 日々是世界杯2014(6月15日)

宇都宮徹壱

「それじゃあ、次はナタルで!」

フォルタレーザの近郊、クムブコに到着。ビーチサッカーに興じる人たちを発見 【宇都宮徹壱】

 大会4日目。レシフェで行われた日本対コートジボワールの試合から一夜が明けた。とはいえ、こちらは日にちをまたいで取材後の仕事に没頭していたので、幸か不幸か敗戦の余韻を引きずるだけの時間的な余裕はなかった。試合が終わって会見がスタートしたのが15日(現地時間。以下同)になったばかりの0時30分。メディアセンターでの仕事を終えて、メディアバスとタクシーを乗り継ぎ、ホテルに戻ったのが午前3時。しかもこの日は、早朝7時の飛行機移動があった。まずは荷造りしてからギリギリまで原稿を執筆し、残りの作業は空港に移動してからという綱渡りなスケジュール。何とか搭乗の1時間前に原稿を入稿し、飛行機の中では泥のように眠った。

 そういえばレシフェの空港で原稿を書いている間、同業者、サポーター、そして元選手など、さまざまな人を見かけたり、逆に声をかけられたりした。仕事か否かは関係なく、非常に多くの日本人が、日本代表の勝利を信じて、あるいは後押ししようと遠くレシフェまで駆けつけたことの重みを、あらためて思う。特にサポーターの場合、現地に来るまでの時間とお金の捻出は並大抵のことではなかっただろうし、レシフェにおける犯罪率の高さも十分に覚悟の上だったはずだ(実際、試合翌日には邦人がひったくりに遭う事件が2件起きている)。「それじゃあ、次はナタルで!」──何人かとは、そう握手して別れた。皆、それぞれ目的地は異なるものの、第2戦の日本対ギリシャが行われる19日には、次の会場であるナタルに再集合していることだろう。その時までに、日本代表はレシフェで失ってしまったものを何としても取り戻してほしいものだ。

 さて、私の次の目的地はマナウスと並んで最も北に位置する開催地、フォルタレーザである。南半球の北だから、つまり最も気温が高い。日中は真夏のような日差しなのに、冬なのですぐに日が暮れるという、なかなか不思議な経験ができる。この、大西洋側に面したビーチで有名な観光都市では、17日にブラジル対メキシコの一戦が行われることになっている。今回は余裕をもって2日前に現地入りしたのだが、さすがにセレソン(ブラジル代表の愛称)の試合が行われるということで、宿泊施設はどこも満杯。そんなわけで、フォルタレーザ郊外のクムブコというリゾート地に滞在することになった。海岸近くのペンションで、パティオ(中庭)には丸いプールがある。リゾートとは無縁の私には似つかわしくない環境だが、消耗気味の気力と体力の回復にはちょうど良いのかもしれない。

「らしさ」を前面に押し出していたボスニア

ゴールを挙げたイビシェビッチ。ボスニアは最後までアルゼンチンに挑み続けた 【宇都宮徹壱】

 ありがたいことにペンションのパティオは、夕方から野外スクリーンとプロジェクターが設置され、ちょっとしたパブリックビューイング会場に早変わりした。ベランダの椅子で、海風を感じながら試合が見られるのは、何ともぜいたくな気分である。この日は19時からリオデジャネイロのマラカナンで行われるグループFの初戦、アルゼンチン対ボスニア・ヘルツェゴビナのゲームを観戦した。アルゼンチンは言うまでもなく、キャプテンのリオネル・メッシを中心とした今大会の優勝候補の一角。対するボスニアは、今大会に出場した32カ国の中で唯一の初出場国である。初めてのワールドカップ初戦で、いきなりアルゼンチンと当たるというのは、98年フランス大会の日本と状況的には同じ。16年前のことをあれこれ思い出しながら、この日はボスニア目線で観戦することにした。

 試合は開始早々の3分にいきなり動く。メッシがゴール前に放ったFKは、味方の選手にはタイミングが合わなかったものの、ファーサイドにいたボスニアDFセアド・コラシナツの足に当たってオウンゴールとなり、アルゼンチンが先制。一方、アンラッキーな失点を喫したボスニアだったが、逆にそのことが彼らが本来持つ攻めの姿勢をさらに強めてゆく。ポゼッションではアルゼンチンの方がやや勝っているが、シュート数ではむしろボスニアが上回っていた。グループリーグ以降にピークを設定しているためか、それとも単に初戦のプレッシャーからか、アルゼンチンは1点リードはしているものの実にやりにくそうだ。

 後半、アルゼンチンは温存していたゴンサロ・イグアインとフェルナンド・ガゴを投入して、一気に勝負に出る。そして後半20分、イグアインからのリターンパスを受けたメッシが、ドリブルでDF3人を引き連れながら迷いなく左足を振り抜き、弾道はポスト左内側に当たってそのままゴールイン。単なる追加点ではない。初出場国ボスニアに、格の違いを見せつける決定的なゴールであった。ところがボスニアも、このままでは終わらない。40分、途中出場のベダド・イビシェビッチが抜け出してスルーパスを受け、GKの股間を抜くシュートを決める。とはいえ、反撃もここまで。ボスニアにとっては、ことさら序盤のオウンゴールが悔やまれるが、それでも7万5000人近い大観衆を前に大いにアピールしたゲームとなった。

 ところで同じ1−2というスコアゆえに、私はどうしても前日の日本の試合のことを思い出さずにはいられなかった。あの試合、もしコートジボワールに先制されていたとしたら、日本は最初からリスク覚悟の攻撃的なサッカーを見せていただろうか。あるいはこの日の試合で、ボスニアが早い時間帯で先制していたなら、自分たちのサッカーを放棄して守りに入っていただろうか。少なくとも、日本に「自分たちのサッカー」「自分たちのスタイル」が本当にあるとするならば、得点経過に関係なくそれは発揮されるべきであったのではないか。「らしさ」というものを前面に押し出し、そして敗れたボスニアの戦いには、前日の試合で私たちが得られなかった、ポジティブな悔しさと清々しさが感じられた。

<つづく>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント