堀越正己、吉田義人が語る「国立の記憶」 国立競技場を彩った男たち

ラグビーマガジン編集部

吉田、明治進学の理由は「言いづらい(笑)」

日本ラグビーにとって、もっとも汗と涙の似合った時代に輝きを放ったふたり 【(C)ラグビーマガジン】

 ともに本物のインターナショナルとして、世界を相手に戦った本物の戦士である。
 1980年代後半から1990年代前半のラグビー人気を支えた堀越正己、吉田義人。ふたりは、早稲田大学、明治大学に在籍時代、早明戦、大学選手権で何度も国立競技場で火花を散らした。興奮のまっただ中で光を放ったスターだった。
 4年間、毎年毎年、大舞台で顔を合わせたふたりは、毎度毎度名勝負を展開した。1年時に笑ったのは早大・堀越。ラストイヤーには明大・吉田が笑う。そして、ふたりの間、両校の間には、いつも想像を超えるドラマがあった。
 ふたりは口をそろえる。
「あの大観衆、あの舞台が、積み上げてきたことも潜在能力も、ときには実力以上のものまで引き出してくれるんです」

 アカクロのダイナモは160センチに届かない体躯ながら、いつも早稲田の生命線であるテンポを作り続けた。紫紺のスピードスターは、170センチ手前のサイズとは思えぬ大胆な気持ちとプレーで何度もトライラインを越えた。いつも物語の中心にいたふたりの青春時代は、日本ラグビーにとっても、もっとも 汗と涙の似合った時代だった。


――ふたりとも高校時代から国立競技場に縁があるんですよね。

堀越 高校3年生の時、高校東西対抗で吉田と同じチームでプレーしました。高校ジャパンでも一緒です。

――そこから、それぞれ早稲田大学、明治大学に進学した。進学先はどういう決断理由だったのでしょう。

吉田 言いづらいところもありますねぇ(笑)。

――そう言われると余計に聞きたくなる。

吉田 自分には、ほとんど選択肢がなかったような(笑)。秋田工業高校には、『明治ッ』という流れもありましたから。先輩たちが何人も進学し、私もお話をいただいた。国立競技場で試合をやってみたいな。その思いが強くて明治に決めました。

堀越 僕は高校のコーチの方の勧めもあって決めました。ただ高校からラグビーを始めたので、申し訳ないですけど、『早明戦とは何ぞや』というのはあまり理解していなかった(笑)。そんな感じのまま早稲田に入ってしまったんです。

――高校時代にテレビ観戦したとか、そういうことはあるでしょう。

堀越 いやあ、それが自分のことで精いっぱいで。練習ばかりしていました。あとは寝ているかメシ(笑)。

1年時の堀越「これが続いたら辞めます」

現在は立正大を率いる堀越氏と、サムライセブンなどで活動する吉田氏 【(C)ラグビーマガジン】

――大学入学後、1年生からレギュラーで活躍されたおふたりです。お互いをどう見ていたのでしょう。

吉田 高校日本代表候補の合宿に2年の時から呼んでいただいて、全国にはすごい選手がいるんだな、と思ったわけですよ。そこに堀越くんもいた。SHで、体全体を使ってパスを投げていました。それまで、そういう動きを見たことがなかったので、ショッキングな光景でしたね(笑)。

堀越 これも、自分のことで精いっぱいで(笑)。吉田のことがどうだこうだというより、自分がここ(早稲田)で生きていけるのか、ということばかり気にしていました。ご存知だと思いますが、早稲田の入部したての頃の練習は本当にきついんですよ。どろどろのままベッドに寝たこともあります。先輩がおかゆを作ってくれました。僕は泣きながら、「これが続いたら辞めます」って言ってた(笑)。

――『早稲田のSH』になるために苦労したんですよね。

堀越 ダイビングパスがまったくできなかったので。凄く時間がかかりました。なのでスイマセン、吉田のことを気に掛ける余裕はこれっぽっちもありませんでした(笑)。

――吉田さんは順風満帆に明治の中でやっていけたんですか。

吉田 当時、北島忠治監督が練習中に指示を出すことはほとんどなかった。ヤグラの上にずっといて、煙草を吸いながら選手たちの練習を見守ってくれているというイメージでした。キャプテンが練習を取り仕切って進行していましたね。1年生のときはすごく練習時間が短かったんですよ。私は秋田工業高校で本当にキツイ練習をやってきたので、その練習量の少なさにはびっくりしましたねぇ。

――対照的ですね。

堀越 はい。とても(笑)。

吉田 ただ、僕は自分ひとりで隠れて練習をしていましたね。練習量が足りなかったので。1年生は(部内の)仕事がいろいろあったり、全体練習後は上級生の個人練習の相手をしなければいけなかったんですが、グラウンドから抜け出して近所の団地内を走った。秋田にいるときは山を走っていたけど、東京に来たら周りを見渡しても山がない。だから代わりに、団地の非常階段を走ったんです(笑)。

――いまなら『怪しい人がいる』と通報されそうですね。

吉田 そうなんですよ(笑)。

――対照的な時間を過ごしながら、おふたりとも1年生時から国立競技場に立ちました。12月の最初の日曜日にここで対峙しましたが、堀越さんはそれより先に、アカクロのジャージーでの国立は経験済みだったんですよね。

堀越 9月にアイルランド学生代表とやったんですよ。そして早慶戦もそうですが、秩父宮ラグビー場の改修工事で日体大戦も国立でした。でもその時はお客さんもあまり入っていなかったので、先輩たちからは、「早明戦は違うからな」と聞かされていたんです。

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