堀越正己、吉田義人が語る「国立の記憶」 国立競技場を彩った男たち

ラグビーマガジン編集部

吉田「僕、早稲田のラグビーが大好きなんですよ」

穏やかな表情で当時を振り返るふたり 【(C)ラグビーマガジン】

――2年生、3年生の時の記憶はどうでしたか。

堀越 2年生(1988年度/18−15で明大勝利)の時は「7分:3分」で明治有利と言われた早明戦で、4年生たちはそうは思っていなかったかもしれませんが、今年の早稲田は強くない……というような感じが漂っていた。それが悔しかったのを覚えています。でも、あの早明戦は僕のベストゲームですよ。3連続でタックルにいったんです。スクラムからSO、CTBクロスで内に入ってきた選手にタックルして、こぼれた球を拾った選手に入り、もう一度立ち上がってタックルした。でも……その直後にトライを奪われた。

吉田 凄いね。おぼえてないなぁ。

堀越 最後は自分でトライも取ったんです。NO8の冨岡洋からSHの安東さんに浮かしたボールを泥棒猫みたいに奪って(笑)。

吉田 安東キャプテンは、地道に計画を立てる人でした。あの年は、早稲田に対して自信を持って臨めるシーズンでした。それでも、点差は開かなかった。

堀越 翌年(1989年度/28対15で早大勝利)は清宮さんの年でした。FWが勝っていましたからね。BKに回すと下がるんで(笑)、いつもの年と違う感じだった。(のちにオールブラックスの監督となる)グレアム・ヘンリーさんがコーチで来られた。でも、ショートラインで抜けたことはあまりなかったですね(笑)。

吉田 あの早明戦は内容的に早稲田が圧倒していました。自分自身はカウンターアタックからトライをしましたが、偶発的なトライが多かったと思います。早稲田は清宮さんのキャプテンシーが素晴らしくて、FW強化が効いていましたね。凄く強かった。戦っていてしみじみ感じました。僕、早稲田のラグビーが大好きなんですよ。自分なりに参考にしていて、早稲田と明治のラグビーを融合させたらいいラグビーできるのにと、いつも思っていましたね(笑)。

4年時の早明戦はラストプレーで同点に

4年時の早明戦では終了間際に今泉がトライを奪い、同点につなげた 【(C)ラグビーマガジン】

――そして、ラストイヤー(1990年度)を迎える。早明戦、大学選手権決勝での対決については、もう何度も語っているんじゃないですか。

堀越 前年からFWがひとりだけ残った。そんなシーズンでした。春の早明戦では大敗でした。だから早明戦は、いろんなことを懸けて臨んだ試合でした。

吉田 最後の年、自分がキャプテンとは思っていなかったんですよ。高校時代も違ったし、他にキャプテン経験者も大勢いたので。でも北島監督に「吉田だ」と任命していただいた。お世話になったし、恩返しできるのは最後のシーズンしかなかったから、自分たちのためでなく、北島監督のために強い明治をアピールしたい。そう思った1年間でした。だからよく練習しました。練習しないと成長しないと思っていました。自分は練習の虫だから問題なかったけど、みんなはよくついてきてくれた。前年、大学選手権1回戦で負けたチームです。だから、「へたくそなんだ」から始めた。早稲田の2倍、3倍走らなきゃいけないぞ、と。そして練習の質にもこだわった。

堀越 (前年の)清宮さんの時は練習がラクだったんですよ。早稲田の中では珍しいくらいに。でも、最後の年は僕らもよく練習しました。危機感があったので。

――早明戦は24対24の引き分け。激闘でした。最後の最後、FBの今泉(清)さんが自陣から80mぐらい走り、コンバージョンも決まって早稲田が追いついた。

堀越 吉田が肉離れ気味で、追いつけなかったんですよね。そうじゃなかったら軽く追いつけたはず(笑)。

吉田 そんなことない。でも確かに肉離れ。ふくらはぎを痛めました。あのゲーム、ほぼ支配していたんですよ。78分間(残り2分まで24対12とリード)。思うようなゲーム運びができていた。FWで前に出られたし、トライも取れた。でも、それがスキになりましたね。そして、勝ちきるだけの底力がついていなかった。

堀越 24対12で最後の数分間を迎えたんです。1トライ(コンバージョンも)返して6点差にして、直後のキックオフからのプレーでした。そのボールがなにかの拍子にタッチに出ていたら終わっていたのに、うまくいきましたね。キックオフを受けて、用意していた『とばし横』でとったトライでした。僕はそれをやるとは知らなかった。SOの守屋(泰宏)が決めていました。

吉田 残り2分からトントーンと決められましたね。ただ、僕のラグビーのスタイルの中には、「逃げる」はないんです。走ってかわしたりはしますが、勝負からは逃げない。最後のキックオフも、自分たちがトライを取ろうと思って蹴ったものなんです。競りにいった。本当は、もっと高く蹴りたかった。ただ肉離れで踏ん張れず、流れる感じになってしまったんです。でも、あの攻撃は早稲田が見事だったと思いますよ。流れるようなアタックだった。全員が、ここしかない、というところにパスしたからこそ、ああいう流れができるんですから。

堀越 全員が、いつも通りに動いたから今泉の走るコースもできたんです。本当に、練習通りでした。それぞれが開く、相手を引きつけるなど、やるべきことをやった結果だった。ただ、トライ後のキックが問題です。今泉はもっと内側まで持って行けただろうし、本当はあの距離の(トライ後の)キックは今泉が蹴る約束だった。でも、なぜだか守屋にボールを渡したから、キッカーを信じる、信じないじゃなく、約束と違うから大丈夫かな……と。そう思った記憶があります。

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