堀越正己、吉田義人が語る「国立の記憶」 国立競技場を彩った男たち

ラグビーマガジン編集部

試合に出場するのにチケット売り場へ

思い出の残るグラウンドをバックに笑顔を見せる吉田氏(左)と堀越氏 【(C)ラグビーマガジン】

――当時は早明戦ウィークと呼ばれたりして、試合前1週間ぐらいから空気がどんどん高まったでしょう。両校のグラウンドも緊張感が漂っていましたか。

吉田 明治の場合は緊張というより、普段の練習とはまったく環境が違うな、と。外的要因による変化が大きかったですね。練習を見るために、ファンの方々が殺到するんですよ。それには驚きましたね。それに多くのマスコミの皆さんも注目してくれていた。カメラマン、記者の多さ。びっくりしました。1週間前から新聞各紙も早稲田と明治を取り上げて、毎日、新聞に話題が載っていた。

堀越 早稲田は「緊張」と書いた紙が貼り出されるんです。でも、僕はなんのことだかよく分からずに過ごしていました(笑)。田古島さんというという主務がいて、「お前が話すとろくなことがないから、あまり喋るな」と言われて(笑)、記者の方に何か聞かれたら「キャプテンにお願いします」と。それで3年間過ごしました。

――3年生まで(笑)。

堀越 4年生ではキャプテンになっちゃったんで。

――部員の方もチケットを求めて並んだというのは本当ですか。

吉田 並びましたよ。

――試合に出るのに?

吉田 はい。1年生の役目なので。プレイガイドに並んでた(笑)。並んでいたら、明治を応援してくださっている皆さんから「あれっ?」と(笑)。で、「頑張って」と応援してくださいました。

――早稲田も同じですか。

堀越 自分のことで精いっぱいで……そういうことを知らないんですよ。もしかして仲間に聞いたら、やっていたと言うかもしれませんが(笑)。

――そうやって迎えた試合当日(1987年12月6日/10対7で早大勝利)。

吉田 朝、起きたら、雪でしたね。

堀越 あんまり覚えてないんですが、ダイビングパスしたらビチャビチャになっちゃうなぁ、と(笑)。FWが不利になるな、と思ったはずなんですが、皆さんご存知のように木本さん(健治監督)が、「これで勝てるぞ」と。そう言われたんですよね(笑)。僕にとってはあとから聞いた話なので、あまり覚えてないんです。

――とにかく自分のことで精一杯、必死だったんですよね。

堀越 ありがとうございます(笑)。

吉田 僕は生まれも育ちも秋田なので、雪が降る中、雪上ラグビーをやるのは当たり前でした。その日の朝、外を見たら真っ白で、「東京でも雪が降るんだ、積もるんだ」と思った。見慣れた風景で、なんとも思わなかったですね。

近くの声も聞こえなかった「雪の早明戦」

数々の名勝負を見守った聖火台 【(C)ラグビーマガジン】

――グラウンドに来ると満員のスタンドでした。

堀越 国立に到着したときは、皆さん雪を避けて、指定席の方はまだ座っていなかったんですよ。だから、ちらっと見たときは「(お客さんが)少ないな」と思ったんです。でも、キックオフ直前にグラウンドに出たら…満員だった。

吉田 国立競技場まで行く交通手段は、当時は電車でした。たくさんのファンの人たちが、早稲田や明治の小旗を持って、「がんばれー!」と声をかけていただいたのを覚えていますね。ものすごく注目されている一戦なんだと、その時改めて自覚しましたね。

――超満員のスタンド。グラウンドに出ると、芝生の下から地鳴りが沸き上がるような感じを受けるという話を聞いたことがあります。どんな感じでした。

堀越 僕は満員のスタンドを見て、ニタニタしてました。こんな中でラグビーができるのか、と。嬉しかったんでしょう。自然に笑ってた。地鳴りも感じましたよ。明治が早稲田のゴール前に来ると、明治ファンの「明治、明治」コールで揺れる(笑)。当時はどちらの応援席とかわけられていなくて、ごちゃ混ぜだったじゃないですか。だから、こっちで「明治、明治」って叫ぶと、隣で負けずに「早稲田、早稲田」となる。もうスタジアム全体が明治と早稲田のコールでいっぱいになって、すり鉢状の競技場でグワーッと響いていた。本当に、近くの声が聞こえない。怒鳴っても。試合前に先輩たちが、「ラインアウトは手でサインを出そう」とやっていました。なんでそんなことをするのかなぁ、と思っていましたけど、そうしないと本当に伝わらない。そして、この地鳴りがグラウンドにいる選手たちの背中を押してくれるんですよ。覚醒させてくれる。試合が終わって、外に出て、あらためてそう感じました。

――吉田さんの記憶は。

吉田 ドーンとグラウンドに出ていくと、国立競技場、そして大歓声に迎えられました。6万人のウォーッという声。大観衆。ものすごい響きですよね。バックスタンドの高いところから声が降ってきて、これがグラウンドで反響して、地鳴りのようなサウンド効果をもたらす感じです。とにかくすごい。最初にグラウンドに出たときの歓声は忘れられない。

――最高に気持ちいい。

吉田 走るのが自分のプレーの真骨頂ですから、歓声に乗ってリズムができた。

――吉田さんはキックオフ直前に入ってくるとき、グラウンドの端っこまでイッキに走っていましたよね。

吉田 そう。まずドーンと走る。サイドラインまで。それで自分の中で緊張をほぐすんです。あとは芝の感覚を確かめる。空気を感じていました。

4年生への思いから出たガッツポーズ

「雪の早明戦」でトライを奪う吉田(右) 【(C)ラグビーマガジン】

――1年生のときから、太ももの青いサポーターもトレードマークでした。

吉田 早明戦の前、慶大戦、日体大戦と2戦欠場したんです。雨の日の練習のとき、ぬかるんでいたグラウンドでバチンッとひどい肉離れをしてしまったんです。結構重く、当時のスポーツ界で使われていた柔らかい布地の白いサポーターではあまり効果が感じられなかった。それでも早明戦のメンバーに選んでもらったので、なんとか出たくて、もっとガチッと締まるサポーターを探したんですよ。自転車のチューブを切って、ぐるぐる巻きにして、それをバンテージ替わりにしてみたりもしました。でも(ふともも)が太くて、チューブだと皮膚がこすれてうまく走れなかった。それで当時チームに出入りしていたスポーツメーカーさんに相談したら、「最近ちょうどこういうサポーターが出てます」と。それで、たまたまいただいたものがブルーだったんです。使ってみたらすごくよかった。最初はふともも用のものを使ったのですが、もっとフィット感がほしくて膝用も試してみたら、そっちの方がもっとグッときた。それからですね、あのサポーターは。

――そのサポーターのお陰か、トライもとりました。

吉田 記念すべき初めての大舞台でトライさせていただきました(笑)。パントが上がって、それを追っかけた。早稲田はNO8の清宮さん(克幸/現ヤマハ発動機監督)がバッキングアップをして処理しようと動いていましたが、うまく私のところにスポッと入った。

――ガッツポーズも出ました。

吉田 思わず、ガッと(笑)。自分はWTBなので、ボールを託してもらい、トライをとるだけだと思っていました。4年生たちにとっては最後の早明戦です。1年生だったから先輩たちに勝利をもたらしたい、貢献したいと思っていたので気持ちが表に出ました。

――堀越さんはSHで、雪の中、指先の感覚とかはどうでした。

堀越 当時は許されていた、指まで覆った軍手を使っていました。あの試合、白いゴムのボールを使ったんですよね。それまでは革ボールだったのに。第1回ワールドカップが開催された年で、白いボールが世界では出てきていました。でも日本ではまだ革だったけど、早明戦で変わった。

吉田 そうそう。

堀越 吉田のあのトライは、本当は僕があそこ(蹴られたところ)に行くことになっていたんですよ。ただ(明治の)NO8の球出しがちょっともたついたから、プレッシャーに出たんです。球が浮いて、それがSOに渡ったので、そこでも前に出た。そこで裏をかかれて蹴られたから全然間に合わなかった。

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