引退から1年、アイスホッケー鈴木貴人 母校の指導者として、再び始まる大きな夢

沢田聡子

昨年4月、現役引退をしたアイスホッケーの鈴木貴人。母校の監督として、チームとともに新たな道を歩んでいる 【スポーツナビ】

「日本ではまだまだマイナーなスポーツであるアイスホッケーですけれども、大きな舞台である五輪での最後の競技がアイスホッケーということで、やはり素晴らしいスポーツだなとあらためて感じました」
 日本でも生中継されたソチ五輪のアイスホッケー男子決勝で解説を務めた鈴木貴人氏(以下、敬称略)は、試合後にそう語った。

 1998−99シーズンに名門・コクドからデビュー、新人賞を獲得した鈴木。日本屈指のFWとして活躍、長く日本代表キャプテンを務め続けてきた。
 その競技人生はアイスホッケーを取り巻く環境が激変した時期と重なる。2009年、コクドの後身であるSEIBUの廃部を経て、日本トップリーグ唯一のクラブチーム・栃木日光アイスバックスに移籍。キャプテンとしてそれまで万年下位だったバックスを率い、11−12シーズンにはプレーオフファイナルまで進んだ。

 過渡期の日本アイスホッケーを牽引してきた鈴木は13年に現役を引退、当時不祥事により対外試合を辞退していた母校・東洋大学の監督に就任した。昨季は秋の関東大学リーグのみの参加。監督就任して1年、今季から本格的に試合復帰した。(取材日:4月16日)

現役引退から1年 新たなスタート

SEIBUのラストイヤー。全日本選手権決勝で得点し喜ぶ鈴木。2009年2月撮影 【写真:アフロスポーツ】

――春の選手権の初戦、4月13日の対立教戦では14対1で快勝、新チームで好スタートを切られた感触でしょうか。

 昨季はしっかりとしたシーズンではなかったので、そういう意味ではここからまた新たなスタートということになります。短い期間ではあったのですが、苫小牧での合宿の成果が少し出たんじゃないでしょうか。

――(アジアリーグの)東北フリーブレイズとも練習試合をしましたが。

 素晴らしいチームにチャレンジして良い経験を積ませてもらったので、少し選手の自信にもなったと思います。

――次は法政(昨季のリーグ戦5位、東洋は4位)戦、山となる試合ですね(※4月19日、2−1で勝利)。

 チームがやりたいことは選手も頭に入っていると思いますが、それをどういうふうに試合で表現できるかというところでしょうね。

――現役時代を振り返って1年です。あらためて最も印象に残っている試合は。

 難しいな……。やっぱり(廃部になった)SEIBUの最終戦ですかね。

――アジアリーグ優勝まであと一歩でしたね。

 勝ち負けの悔しさももちろんあったんですけど、チームが終わるということの方が自分の中ではやはり大きかったですね。ホッケー界全体にもすごく大きな影響を与える出来事だったとも思ってますし。

――その後アイスバックスに移籍したのは、幼なじみの村井忠寛監督(当時)との絆以外にも、今後のアイスホッケー界について考えたことも動機としてあったのでは。

 そうですね、一番はSEIBUという今までホッケー界をリードしてきたチームの一つがなくなることが自分にとっても大きなショックだったし、今後のホッケー界を考えたときに何かを変えなきゃいけない、変わっていかなきゃいけない……やはりそういう思いもあっての選択でした。

スマイルジャパンがもたらした“財産”

2月のソチ五輪に出場した女子日本代表スマイルジャパン 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――ソチ五輪に出場した女子日本代表(愛称:スマイルジャパン)は、長野五輪の後、下降気味だった日本のアイスホッケー界に久々に明るい話題を提供してくれました。最終予選での3点差からの大逆転(初戦のノルウェー戦、0−3から逆転勝利)も印象的です。

 やはり五輪を目前に負けた今までの五輪予選の積み重ねがもたらした今回の結果だったと思います。ビハインドを跳ね返せたのも、やはり今までの経験があるからでしょう。選手たちだけじゃなく、その前からずっと女子のアイスホッケーに携わって五輪を目指していた人たちの功績も大きいですね。

――女子のエースだった久保英恵選手については、心情が理解できた面もあるのでは。

 年齢的にもベテラン(五輪時に31歳)でしたし、本当に応援していましたね。自分はメディアの立場で五輪に携わらせてもらいましたが、彼女たちが受けるプレッシャーは自分たちには計り知れないものがあったと思います。久保選手に関しても、大会前からエースと言われている中でやはりすごくプレッシャーを感じながらプレーしていたのかなと。(最終戦で)点数を入れたときには、少し本人もほっとしたのではないでしょうか。

――女子代表はソチで実力を出し切れたのでしょうか。

 飯塚(祐司)監督や藤澤(悌史)コーチはもっともっと実力があるはずだと、満足いっていなかったみたいですね。ただ僕が見た中では、見えないプレッシャーもたくさんある中で、持っていたものは全部出し切ったのではないかと思いました。

――日本のプレーで通用した部分は。

 自分の口から評価するのは難しいですが……長野大会にも(開催国枠で)出てはいましたが、ソチが女子(日本代表)が参加する五輪としては初めてという位置付けだったと思います。今まで戦ってきた世界選手権とはやっぱり違ったはずですし、通用するもの、しないものを選手が肌で感じられたことが一番の財産でしょうね。

――五輪出場によって注目が集まりました。

 まずは本当に、アイスホッケーを(メディアで)取り上げてもらえることは素晴らしいなと。彼女たちの努力でこれだけホッケー界をリードしてもらっているのは素晴らしいと思っていた中で、やはり男子が五輪に行かなきゃいけないというふうに思い続けていましたね。

――一昨年に日光で行われた男子のソチ五輪1次予選(敗退、当時現役だった鈴木はけがのため出場できず)ですが、地元開催のプレッシャーが良い方には働かなかったのでしょうか。

 実際そういうのはあったと思います。僕もあの場に立っていないので選手たちがどういう気持ちだったのかは分かりませんが、原因として経験の少なさはあったでしょう。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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