20年目の命日、セナを忘れない 日本が愛した「音速の貴公子」

田口浩次

94年5月1日、ひとつの時代が終わった

94年5月1日、サンマリノGPの事故でセナは帰らぬ人に……。この悲劇をきっかけに、その後モータースポーツの安全性は向上した 【写真:Press Association/アフロ】

 当時を知る多くのパドック関係者が言うのは、セナの走りは母国ブラジルや日本だけでなく、徐々に世界中を魅了し、レーシングドライバーの人気とは違うものへと成長していったというものだ。セナの登場によって、F1は世界的に注目を集めるスポーツとなり、レースを知らない人でも、セナを知るようになった。つまり、セナという存在自体が、F1のレースを超えてひとつのブランドになっていったのだ。

 だが、94年のサンマリノGPでF1と世界は突然セナを失うことになる。事故後の検証や裁判を通じて、ステアリングコラムの強度不足が事故につながったとされている。しかし、当時のチームメイトだったデイモン・ヒルは個人的な見解としながらも、「セナの事故原因はステアリングコラムではなく、セーフティカーに先導されている間にタイヤが冷え、車高が変化してしまったことが最大の要因ではないかと思う」と分析している。

 当時は車高を一定に保つセミアクティブサスペンションが禁止され、ウイリアムズのマシンは最大のアドバンテージを失ったと言われている。そこへセーフティカー走行によってタイヤが冷えて、車高が下がってしまったマシンに何かトラブルが発生したのだろうと。だが、原因はなんであれ、F1はセナを失った。そして、その前日にローランド・ラッツェンバーガーを失った。ひとつの時代が終わった年だったと言える。

セナ亡き後、モータースポーツの安全性は格段に進歩

 では、セナの死でF1は何が変わったのか。その最大の変化は安全面の向上だ。94年5月1日、サンマリノGP決勝レースで発生したセナの事故以降、F1ドライバーの死亡事故は一件も発生していない。それこそ76年のF1シーズンを描いた映画『RUSH』では、ナレーションで「毎年2人の死亡者が出るスポーツがF1」と表現されていたように、F1マシンとは燃料を満載した走る爆弾だった。

 それがアルミハニカムモノコックからカーボンモノコックへと変化し、ヘルメットどころか肩まで見えていたコクピットは強固なサバイバルシェルに囲まれ、サイドインパクトバーやフロントノーズのクラッシャブルテスト導入など、死亡事故の可能性が消えたわけではないが、その安全性は格段に進歩した。衝突時にドライバーの首を守るHANSも導入されるなど、この20年でF1を先頭にモータースポーツはドライバーの安全を高める手立てを次々と打ってきた。

 F1で導入した多くの安全技術は時間を経て、下位カテゴリーにも導入されている。現在のレーシングカーはジュニア・フォーミュラでも高い安全性を誇っているが、これもセナの死によって、現在のレーシングドライバー全員が享受している恩恵だろう。

 もしセナがあの事故後も生きていたとしたら、現在は54歳。ホンダ撤退後も「いつホンダは帰ってくるんだ?」と聞いていたセナだけに、きっとスポーティングディレクターやチームオーナーとして、ホンダとの新たな黄金期を生み出していたかもしれない。

 アイルトン・セナ・ダ・シルバ。今の若い人にも、こんな人間味ある、カリスマと呼ぶにふさわしいドライバーがいたことを知ってもらえたらと思う。

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