プレーオフの悲劇を乗り越えるために=J2・J3漫遊記 京都サンガF.C.<前篇>

宇都宮徹壱

西京極の木々が色づく頃には

ホームでの札幌戦、京都はアレッサンドロ(11)のゴールで今季初めてリードしたが…… 【宇都宮徹壱】

 スタジアムに向かう途中、五分咲きの桜の美しさに思わず心を奪われた。京都・西京極総合運動公園陸上競技場。前回ここを訪れたのは、2012年の11月18日のこと。あの時は桜ではなく、鮮やかな紅葉がスタジアムの周囲を彩っていた。カードは京都サンガF.C.対大分トリニータ。そう、第1回となるJ1昇格プレーオフの準決勝である。

 このシーズン、J1自動昇格まであと一歩の3位でフィニッシュした京都は、プレーオフ優勝候補の筆頭と目されていた。しかしフタを開けてみると、森島康仁(現川崎フロンターレ)の4ゴールが炸裂してリーグ戦6位の大分が圧勝。試合後の京都ゴール裏の落胆ぶりは、今でも忘れられない思い出となっている。

 あれから2年が経過し、京都は今季もJ2で活動している。そしてこの日(3月31日)は第5節、ホームにコンサドーレ札幌を迎えていた。ここまで共に2勝1分け1敗、得点5・失点3もまったく同じの6位という両チームの対戦。しかもJ2降格最多タイ(3回)というところまで同じ。この試合もまた、きっ抗した展開が続く。

 前半はそれぞれに決定機を作ったものの、ゴールライン上での間一髪のクリアとオフサイドの判定で、両者ともに得点ならず。後半11分、京都はCKのこぼれ球をMFジャイロが中央にボールを入れ、これをFWアレッサンドロが絶妙なももトラップから巧みなボレーをたたき込んで先制点を挙げる。しかし札幌も後半22分、こちらもCKからのこぼれ球をMF宮澤裕樹がシュートを放つと、これがFW内村圭宏の足に当たってゴール(記録は内村の得点)。その後も両者の攻防は続いたが、1−1のスコアのままタイムアップとなった。

 試合後、京都のバドゥ監督は「結果に関しては本当に平等な、公平な結果だったと思う」として、「少し残念な日ではあったが、敗北の日ではなかったと思う。札幌のような素晴らしい相手に対して勝ち点1を得たこと、そして負けなかったことは悪いことではない」と総括している。この結果、京都と札幌は、同勝ち点、同得失点差のまま仲良く7位に後退。指揮官が交代し、新しい選手が9人も加入した京都は、まだまだチームとしての完成度を高めていく時間が必要だろう。西京極の木々が色づく頃、J1復帰に向けた京都の視界は、良好となっているのだろうか。

「一番の収穫は、3年続けられたこと」

京都の祖母井GM。大木監督時代の評価について「3シーズン続けられたこと」を挙げた 【宇都宮徹壱】

 全国に散らばるJ2クラブのホームタウンを漫遊しながら、J2というカテゴリーの「現在」に光を当てることを目的にスタートしたJ2漫遊記。3年目の今年は、新設されたJ3にもスポットを当てることになり、「J2・J3漫遊記2014」として再スタートすることとなった。そして今季、最初に訪れることになったのが京都。このクラブについては、2012年でのJ1昇格プレーオフを取材して以来、ずっと気になる存在であり続けた。

 京都は今年、クラブ創設から20周年を迎える。1200年以上の歴史を有する古都を本拠とし、前身となる京都紫光サッカークラブの設立が1922年(大正11年!)であることを考えると、京都サンガF.C.としての歴史は地元の人々にはさほど長いものには感じられないかもしれない。それでも2014年版のクラブ年鑑をめくると、さまざまな懐かしい顔が現れて思わず見入ってしまう。ラモス瑠偉、三浦知良、秋田豊、柳沢敦といった元日本代表のビッグネームたち。松井大輔、遠藤保仁、パク・チソンといった後にワールドカップ(W杯)で活躍する選手たち。そして最近では、久保裕也、駒井善成、宮吉拓実といった新鋭がU−18から続々とトップデビューを果たし、久保のように10代で日本を飛び出す選手も現れた。

 行き当たりばったりの補強でしのいでいた感が否めない黎明(れいめい)期に比べると、ここ5年ほどの京都は、地域に根を下ろしながら育成面でも着実に成果を挙げている印象を受ける。加えて設立当初より、京セラや任天堂といった地元大企業からの支援を受け続けているのも心強い。2011年からは、ジェフユナイテッド千葉で10シーズンにわたり強化の陣頭指揮にあたっていた祖母井秀隆がGMに就任。ヴァンフォーレ甲府、清水エスパルス、そして日本代表コーチでの仕事で高い評価を得ていた大木武監督との二人三脚で、2010年以来となるJ1復帰を目指すこととなった。しかし結果は、3シーズン続けての昇格失敗。それでも「決して無駄な3年間ではなかった」と祖母井は振り返る。

「一番の収穫は、3年続けられたことですね。チームが強くなるためには、3年は我慢することが必要。そのことは稲盛(和夫)会長にもご理解いただきました。会長はそれまでは『戦うからには、勝たねばならない』という信念をお持ちでした。確かにビジネスだったら、そういう考え方もあるかもしれないけれど、でもサッカーはちょっと違う。チームを強くすることも、クラブを地域に根付かせることも、やはり継続性は必要。そのことは会長にも説明して、ご理解をいただきました。1年目、なかなか勝てない試合が続いたときに『今、監督を代えるのは得策でありません』と申し上げたら『分かっとるわい!』と言われて(苦笑)。あの時はちょっとうれしかったですね」

 京セラの創業者であり、株式会社京都パープルサンガの名誉会長である稲盛は、どんなに多忙でも西京極でのホームゲームは極力観戦するくらい、チームの成績を常に気にかけているという。そんな彼が、監督人事にどれほどの影響を与えたかは定かでない。が、少なくとも祖母井がGMに就任する前の京都は、毎年のように指揮官が代わり、そのたびにチームのスタイルや戦術も変容していった。シーズン途中で解任されることなく、3シーズン指揮を執った監督は、20年のクラブの歴史の中で実は大木が初めてである。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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